右の長い髪の毛の束から、水滴が零れ落ちる。
「いや、ほんっとごめん!」 
 彼が、頭を下げて、恐る恐る上げると、舞花は、彼の方に寄ってきていた。
 そして、右腕を振りかぶったかと思うと、「ばかあ!」反響音と共に、突然の平手打ち。
「あうっ!」
 彼が、打たれた左頬を押さえながら舞花の方を見遣ると、その瞳には、涙が溜まっていた。
「ばか」
 舞花は、もう一度だけ繰り返すと、マンションの入口に続く階段を肩を怒らせながら登っていく。
 彼は、なす術も無く、舞花の後ろ姿を見送っていた。彼の浅はかな計画は、こうして音もなく崩れ去ったのである。



 とはいえ彼は、まだ完全に舞花を自らの連合軍に加える事を諦めた訳では無かった。
 彼だって、流石に事件の後の三日間は煩悶した。思い出しては、赤面してしまうのである。それが、自分の失態からなのか、初めて女の子をあんなに間近で見たからなのか、彼には勿論ながら解り得なかったが。
 しかし、彼は二週間ばかり、舞花を隠れ隠れ観察している内に、とある第二の作戦を練りだしたのである。
 村田には、先日の事件の全容をあらかた喋っていたので、「馬鹿じゃねえの」村田はそう笑いながらも、彼の作戦には、全権を寄せてくれた。
 その作戦とは、名付けて作文大作戦。
 舞花は、自己紹介で読書が好きという程の読書通で、たまに、夏目漱石やら、川端康成やらの、所謂文学作品をよく読んでいた。
 彼は、それに目を付け、彼は勉強、特に国語が大いに出来ると自負していたので――絵は今でもからっきし駄目であったが――、一筆書いて、舞花の興味を引こうという案配なのである。
 彼は、原稿用紙を買ってきて、村田憲広監修の名の元に、とある手紙ともいえる作品を完成させた。
 そうして、学校が終わり、舞花が帰ったのを見計らって、舞花の机に原稿を入れ、彼等は、返答を待つことにした。
 空は、連日の雨模様。気付けば、ビンタ事件から三週間の時が流れようとしていた。