そう言って、長澤は先に休憩室を出ていった。
長澤は分かっていたんだ、店長が辞めるんじゃないかと心配していたことが・・・・。
大した奴だよ、本当に。
「登坂、長澤さんは!? どんな様子だった!?」
諦めて戻った事務所では、店長がソワソワしながら待っていた。
俺を見るなり急き込んで聞く。
「長澤にはもう一つ目があるのかもしれません。コーヒーどうぞ」
“落ち着いてくださいよ”という意味を込めて、店長の前に熱々のコーヒーを置く。
さっき落とした100円で買ってきたものだ。・・・・本当は長澤に買うつもりだったのだが。
「あぁ、サンキュー・・・・って、そんなことじゃないんだよ、登坂!長澤さんはっ!?」
「大丈夫です。店長が心配していることは、長澤は全く考えていないみたいですから」
「・・・・はっ?」
「だから“何があっても辞めませんから”だそうです。気づいていたみたいですね、長澤も。店長、すぐに顔に出ますからね」
そう言うと、店長は心底安心したように長いため息をついた。
店長のあの呼び出しは、きっと一刻も早く今のことを聞きたかったからなのだろう。
放送まで私物化して・・・・と、誰のために買おうとしたものかも知らず、満足そうにコーヒーをすする店長を見ながら思う。
けれど、こんな店長の下で働けていることを誇りにも思っている。
願わくば、俺も店長の下でずっと働いていたい・・・・。
「そうだ、ときに登坂」
「はい?」
コトッ。
コーヒーカップを置いた店長は、さっきとは打って変わってキラキラとした目を俺に向けた。
「アッチのほうはどうなんだ? うまくいったか?」
「!? ・・・・げほっ、げほっ。アッチってどっちですか」
自分用にも買ってきたコーヒーが喉の変なところを通っていった。
危うく吹き出すところだったじゃないか、店長め。
「ほぅほぅ。分かってるくせに」
「分かりませんよ、そんなの!」
とは言ってみるものの・・・・。
「何があったのかは知らんが、修復できなくなる前に言えたのか? 思っているだけじゃ相手に伝わらないんだぞ?」
店長にももう一つ目があるんじゃないだろうか・・・・。
しっかりとここ最近の事情を把握されていて、俺が長澤を想っていることも知られていて。
「・・・・梅村ですか?」
「さぁ。店長にも守秘義務ってものがあるからなぁ」
と、はぐらかされるだけ。
店長はニヤニヤと笑いながらまたコーヒーをすすっている。
それだけ心配されているのは嬉しいが・・・・この歳で店長と恋愛の話をするとは思わなかった。
恥ずかしい。
「で? どうなんだ?」
「しつこいです」
本当、しつこい。
だから・・・・。
だから、店長には言わない。
前向きな返事をもらえたことは。
麻紀にも会って、もう一度きちんと話をしなければいけないな。
「さて、と。店長、ちょっと一服してきます」
「はいは〜い!」
なんとなく居心地が悪くなり、そう断りを入れると、店長は柄にもなく手を振って俺を見送った。
そのあと吸った煙草は、久しぶりにうまかった。
◇未来side.*:・゚
『未来です。何度もメールや電話をしてごめんなさい。ちゃんと会って話がしたい。笑顔でバイバイしたいの。これを聞いたら連絡ください』
その日部屋に帰ると、あたしはそうメッセージを吹き込んだ。
モッサ君の携帯はずっと留守電、このメッセージを聞いてもらえるかどうかも分からない。
それでも、これで最後と決めて。
「はぁ・・・・」
携帯を閉じると同時に、何とも言えないため息がこぼれた。
メッセージを残すのがこんなに緊張するとは思わなかった。
登坂さんが言ってくれたことは、本人にも言った通り、すごくすごく嬉しかった。
本当に・・・・。
でも、あたしはすぐに登坂さんの胸には飛び込めない。
だから“少し待ってください”なんて、あんな図々しいことを言ってしまったんだ。
意地・・・・なのかもしれない。
弱い自分をなんとか変えようとする、そんな自分勝手な。
負い目・・・・なのかもしれない。
モッサ君を傷つけて自分だけ幸せになろうとするなんて、という。
それに・・・・。
あの女の人、麻紀さんのことはまだ聞きたくない気持ちもあって。
話そうとしてくれているのは分かっていたけど、心の準備ができていなかった。
登坂さんは優しいから、きっと理由があったと思うけど・・・・。
「よし、久しぶりにちゃんと料理でもしよう!」
携帯を充電器に差し込んで、勢いよく立ち上がる。
ここ最近は食欲がなかったけど、今日はなんだか食べられそう。
1つ迷いが吹っ切れて、元気が出てきたのかもしれない。
モッサ君のこともある、麻紀さんのことも綾ちゃんのこともある。
でも今、1つだけ分かっているのは、あたしは登坂さんが好きだということ・・・・。
その気持ちに嘘はない。
あたしは登坂さんが好き。
その想いを大切にしたい・・・・。
それから2日後───・・。
モッサ君から連絡が入った。
─・・
──・・・
───・・・・
静かに音楽が流れる店内。
コーヒーを挽くいい匂い。
夜はそれほどお客さんも多くないこのコーヒーショップは、時間の流れがゆっくりに感じる。
あたしは、そんな中にふさわしくないくらいに緊張しながら窓の外をひっきりなしに眺めていた。
モッサ君が来たら何を話そう、どんなふうに切り出そう・・・・。
そればかりを考えていて、意味もなくトイレに立ったり、紙ナプキンを折り曲げたり、とにかく落ち着かなかった。
「はぁ・・・・」
ため息だって、もう何回ついたか数えられないくらい。
自分から話がしたいと言ったくせに、やっぱり情けない・・・・。
そうして、かれこれ30分ほどが過ぎた頃───・・。
「いらっしゃいませ」
モッサ君が現れた。
あたしの姿を見つけるなり、モッサ君は小走りに席まで来て。
「遅れてごめん」
頭を下げた。
「あたしこそごめん」
立ち上がったあたしも、急いで頭を下げて謝った。
「ごめん、いろいろ・・・・」
「あたしもごめん」
「ごめん」
「ごめん・・・・」
モッサ君もあたしも頭を下げたまま“ごめん”ばかりを繰り返す。
それ以外の言葉なんて、1つも思い浮かばなかった。
すると・・・・。
「あの〜、お水。お持ちいたしましたけど・・・・」
「あ、すみません」
「すみません」
アルバイトらしき女の子が水を持ったままおろおろしていて、あたしたちはそこでもまた、とっさに頭を下げて謝ったしまった。
「ご、ご注文が決まりましたらお呼びください」
笑顔を引きつらせながら持ち場に戻る女の子。・・・・ごめんね、びっくりさせちゃって。
心でもまた、謝った。
でも、その子のおかげで・・・・。
「ふ」
「ふっ」
変な緊張が解けて、お互い自然に笑えるようになった。
今度はありがとう、だ。
「で、今日は? 俺と会うこと、登坂さんに言ってきたの?」
すぐに席についたモッサ君は、メニューを眺めながら何食わぬ様子でさらりと聞く。
「あ・・・・うん。言ってきた」
「ふ〜ん。じゃあ、うまくいったんじゃん。よかったよかった」
メニューから顔を上げたモッサ君は、本当に嬉しそうな顔。
短い間でもつき合っていたのが嘘みたいに、言うなれば・・・・“友だちの顔”だった。
「でも、うまくいったというか、なんていうか・・・・ちょっと違う」
「違う?」
「うん。まだつき合ってない」
「えっ!? なんでまた・・・・」
モッサ君は、今度は呆れ顔。
“うーん”なんて唸りながら、何かぶつぶつ言っている。
「まぁいいや。とりあえず注文するから、長澤も新しいの頼む?」
「うん。じゃあ、カフェオレで」
モッサ君の反応は、当たり前と言ったら当たり前・・・・だよね。
今なら、あたしを想って振ってくれたんだって分かるから。
あたしは意地っ張りだから、ああでもしないと素直になれないと感じてしてくれたんだと思う。
「お待たせしました」
少しすると、モッサ君の前にはアメリカンが、あたしにはカフェオレが置かれた。
「んで。単刀直入に聞くけど、告白されたんだよな? なんでまだつき合ってないのさ」
スプーンでカップの中をぐるぐるとかき混ぜるモッサ君は、訝しげな表情であたしを見た。
納得いかない、って顔だ。
「・・・・話せば長くなるから」
「じゃあ、聞かせて?」
うーん。
こういう話をするために来てもらったんじゃないのに・・・・。
「あのね、モッサ君。今日は違う話なの。留守電に入れたじゃん、笑顔でバイバイしたいって」
普通に“登坂さん”だの“告白”だのって話しているけど、本当にしたいのはその話じゃない。
モッサ君とあたしのこと。
あたしは、意を決してそう話を切り出した。・・・・モッサ君の目がわずかに泳ぐ。
「・・・・いいよ、その話は。まだつき合ってないのは意外だけど、ちゃんと話せたんだろ? それでいいじゃん」
「よくないよ。大事なことなの。まだお礼も言ってないし、謝ってもいないし・・・・」
わがままなのは分かっている。
でも、このままなんて、あたしの性格が許さない・・・・。