周りからはよく「雨女」と呼ばれていた。自分でもそう思っていた。

というより、晴れていようが雨が降っていようが、そんなものにはさほど興味がなかった。

もともと、空を見上げるのはあまり好きではない。
あの、得体の知れないだだっ広い空間に焦点を合わせようとすると、決まって遠近感がおかしくなる。3Dのイラストを、無駄に集中して眺めている時の感覚に近い。

あんな気色悪いものに対して、空が「泣いている」とか「笑っている」とか、そんな擬人表現を使う輩の気持ちが全く理解出来ない。お前らの目は節穴か、といつも思ってしまう。
ひねくれた性格だとは思う。

くだらない空想にふける私の両耳に不必要な圧力をかけて、電車は突然トンネル内に入った。
不意打ちで受けた気圧の衝撃は、思いのほか大きかった。

そして何故かその瞬間、私は私が人間であることを痛感した。

私は痛みという感覚を知っている。気圧の変化を察知する耳を持っている。他人の行動をつぶさに観察する目を持っている。他の人間と同じ構造の身体を持っている。

つまり、私と、私以外の人間とを区別する明確な相違点は、これといって、ない。

幾度となく考えては、いつだって同じ結論しか出せない。
そんな終わりのない懊悩をまた、心の中で呪文のように繰り返していた。