気づけば、膝小僧からは真っ赤な血が滴り落ちていて。
慌ててかけ寄ってくる先生たちを見た瞬間、俺は泣いた。
「陸くん。大丈夫?」
「今、手当てしてあげるからね」
そう言って手を差しのべてくれる先生たち。
だけど。
「待ってください!」
姉貴の声が、それを制止した。
「陸はまだ走れます!走れるよね?陸」
「…っく。無理、だよ」
泣きじゃくりながら訴えた。
「どうして!最後まで走るんでしょ!」
それでも姉貴は、引き下がらない。
「真弥ちゃん、無理よ。陸君の骨は脆いの。骨折が完治したばかりなの、知ってるでしょう?」
見兼ねた先生が説得しても、姉貴はガンとして俺の前に立ちはだかったままだった。
「…陸、約束したでしょ?」
小さな声で、姉貴が呟いた。
「絶対完走しようねって。最高の思い出にしようって」
ポロポロと、姉貴の目から涙が溢れ落ちて──
その瞬間、俺の中で何かが弾けたんだ。
「え、ちょっと陸くん?」
「危ないから、やめなさい」
よろよろと歩き出した俺を、先生たちは慌てて止めようとした。
それでも、振り返らなかった。
これで、弱虫な自分とサヨナラできる。
そう思ったんだ。
「待って、陸!」
ゴールまであと少し。
悲鳴をあげはじめた足首を引きずりながら歩いていると、後ろから姉貴の声がして。
「私も、走る」
そう言って、俺の肩を支えながら一緒に歩き始めた。
今は並んだ、俺と姉貴の身長。
近くに感じる姉貴の吐息。
姉貴の肌の温度。
───ドキッ。
何かが弾ける音。
それは、痛みと自分との戦いの中で芽生えた、初めての感情だった。
いつだったっけ。
確か、小5の終わり頃。
俺は初めて、俗に言うエロ本とやらに出会った。
多分そのテの知識は、同世代の中ではかなり遅れていた方だと思う。
それは多分、これまで引きこもりがちで、気の許せる仲間がいなかったからだ。
この頃の俺は、健康そのものだった。
姉貴が遊びに連れ出してくれたおかげか骨も丈夫になり、いつの間にかクラスで1、2位を争う駿足とさえ言われるまでになっていた。
友達も増え、やっと気の合う仲間というヤツらにも出会えた。
当然思春期のヤツらは、そっちの話にも興味津々なわけで……
いつの間にか、エロ本の回し読みが当たり前のようになっていた。
その夜。
俺は親の目を盗んで、こっそりエロ本を部屋に持ち込んだ。
いつでもごまかせるように漫画本の間に挟んで、ベッドの上でこっそり開いて。
ページをめくれば、そこに広がるのは俺の知らない大人の世界。
エロとかスケベとか、そんな単語で片付けられない程の衝撃があったのを覚えてる。
時間を忘れて食い入るように読みふけって、気づけば夜になっていた。
夢中で。
夢中になりすぎていて、気づかなかった。
「…ねー、陸」
心臓が止まるかと思った。
ハッとして顔を上げると、仁王立ちのまま俺を見下ろす姉貴がいたから。
「ま、まや…」
「今隠したの、何」
「え…」
「それだよ、それ!」
ビシッと姉貴が指を差したのは、今まさに慌てて閉じたエロ本の裏表紙だった。
逃げられないと観念して、おとなしくそれを渡すと。
「な、な、な、なにこれー!!」
姉貴は俺以上に衝撃を受けたらしい。
すぐに白目を剥き、顔はゆでダコみたいに真っ赤になっていた。
「…すごーい。おっぱい大きい!ボンボンだよ!」
ヤダヤダと騒ぎつつも、興味があるのか姉貴はなかなか本を離さない。
「大人になったら私も巨乳になれるかな?」
「さ、さぁ」
……突然何を言い出すんだ、と思った。
それでも、その言葉で姉貴を意識してしまったのは事実で。
思えば、この日。
俺は初めて欲情した気がする。
ハダカの姉貴を想像したら、自然と身体が疼いた。
その時はただの生理現象だと思ってた。
だから、気づかなかった。
それが“異常”であること。
そして、抱いてはならない感情であることを──────。
──キョウダイは結婚できない?
そんなの、当たり前だろ。
血が繋がってるんだから。
「じゃあ……
どうして姉貴に欲情したんだ?」
……!
大人になった俺が、冷静に問いかけてくる。
「…それ、は、」
たまたま想像したのか、姉貴のハダカだっただけで。
「いや、お前は普段から、実の姉に対してもってはいけない感情を抱いてる」
───嘘だ。
違う。ありえない。
だって、血が繋がっているのに。
俺は──…
俺は──…
中学に入学した頃から、少しずつ自分の想いに疑問を持つようになった。
実の姉貴が気になる─…
恋とか愛とか、よく分からない感情。
それでも意識すればドキドキするし、身体が熱くなる感覚さえ覚える。
一番のキッカケは、学年1美人と言われる同じクラスの女に告白されたときだった。
確かにそいつは一般的に見たら美人だし、皆が騒ぐのは分からなくない。
でも─…どうしても、アイツ、姉貴と比べてしまう。
一つ一つの行動を見ても、姉貴だったら、姉貴なら、といちいち結びつけてしまう自分がいて、ようやくそれが普通の感情ではないことに気づいた。
それを認めてしまった瞬間、事の重大さにしばらく愕然とした。
抱いてはいけない感情。
血の繋がった近親者への恋心。
だけどその頃には、自分の気持ちに歯止めが効かなくなっていたんだ。