リビングから漏れるテレビの音声が、夜の9時を知らせる。
「優梨?ご飯は?」
「いい、これから出掛けるから。」
「遅くならないように帰るのよ」
「は〜い」
こんな時間に出掛ける高校生の娘に言うセリフじゃないよね、普通は
でもこれが私とお母さんの普通。
高校生になったばかりの頃、この家の住人は私とお母さんだけになった。
その頃からのルール
人様に迷惑をかけないこと
お互いを尊重すること
もしかしたらそれは、家を空けることが多いお母さんが私にくれた、寂しさを埋めるための自由なのかも知れない。
慣れないバイトのせいで、階段を昇る足がだるい。
バイトなんてしなくても、お母さんは充分過ぎるお小遣いを私にくれるし、特別欲しいモノがあるわけでもない。
それでもやっと見付けた先生の隠れ家だから。
こんなチャンス逃せば二度とない。
こんなにわくわくしたのは初めてかもしれない
だからもっと刺激がほしい
寂しさも退屈も自由も忘れるくらいの刺激がほしい
暗いままの部屋で浮かぶディスプレイには同様のメールが五件。
【今日は来ねぇの?】
送信元は全部、紀之。
【今から行くよ】
送信ボタンを押して、ポーチに手を伸ばす
バイトを始めたって言ったら、紀之はなんて言うかな
帰り道気を付けろ…なんて絶対言わないだろうな。
眼鏡を外して、色の付いたコンタクトを入れる。
目元を濃く…慣れた手付きで自分の顔に塗り絵をしていく。
20分もしないうちにさっきまでとは違う自分が鏡の中にいるのを見て、それに似合う服を着た。
学校での私しか知らない友達が見たら、これが私だなんて思わないだろう
変わる自分に安心するような気がした。