●90
 一口飲んだお酒で、ぽーっとなってしまったメイの耳に、次がお色直しであることを告げる声が聞こえた。

 そして、係りの人が彼女を迎えに来る。

 あ。

 そうなのだ。

 あと1枚ドレスがある。

 オレンジ色のカクテルドレス―― ハルコが、似合うと言って選んでくれたのだ。

 カイトの方をちらりと見ると、彼も席から立ち上がろうとしていた。

「あ、新郎さんはそのままそこに…後でお迎えに来ますから」

 慌てたスタッフが、カイトをそこに押しとどめる。

 すると、明らかに彼の眉間に、深い縦皺が刻まれた。

 自分の分の着替えも、あると思っていたのだろうか。

 一気に、不機嫌な表情になった。

 カイトも、お色直ししたかったのかしら?

 少し不思議だった。

 今の衣装が窮屈で、きっと脱ぎたいに違いないだろう彼が、他の色のタキシードに着替えるのを夢見るタイプには、決して思えなかったのだ。

 気がかりで、ついついチラチラと、席に残してきたカイトの方を見やる。

 彼も、メイの方を見ていた。

 不機嫌そうな顔が、ずっと彼女の後ろ髪を引き続ける。

 しかし、それはついに見えなくなった。

 新婦が会場を出てしまうより先に、祝宴中の人たちが、唯一残ったカイトの方に群がってしまったからだ。

「どうかされました?」

 落ち着かない態度だったに違いない。

 係の中年の女性が、声をかけてくる。

「いえ……」

 またすぐ会えるから。

 たかが、ドレスを着替える間だけだ。

 そんなわずかな隙間くらいで、こんな気持ちになるなんておかしい―― そう、自分に言い聞かせて、彼女は控え室に向う。

 空腹に飲んだちょっとだけのお酒なのに、指先まで染み渡っているような気がする。

 歩く度に、ドレスの中のパニエと一緒に、身体もふわふわした。

 慣れない靴で転ばないように気をつけて歩きながら。

 けれど。

 やっぱりメイは、後ろ髪の一本を、ずっとカイトのいる席から引き延ばしていた。