……しかし、それは俺の主観であって、客観の方はもしかしたら違うかもしれないと告げていた。

何しろ、これが地図だとするならば、とんでもなく下手なのだ。俺が五歳のときに書いた母さんの似顔絵にそっくりだ。

地図と言うより、どこぞの画家が書いた印象派芸術と言った方がしっくりくる感じでさえある。しかしこの、見ようによっては人の顔にさえ見えてしまう、落書きにしたって大概な代物は、間違いなく地図だ。

何故そう断言出来るのか。

それは、この抽象画じみた落書きと呼ぶのもおこがましい……ってひどい言われ様だな、地図よ。言ってるのは俺だが。

とにかく、だ。何故分かったのか。

それはこの落書きの上に、「地図」と言う文字が、この落書きが地図である事に対して申し訳なさそうな感じで、佇んで居たからだ。

ここで文字に対して、佇んで居る、と言う表現を用いたのは、その文字が纏う独特な雰囲気のためだ。その文字からは、そこはかとない上品さの様な物が感じられた。その上品さから、地図を書いた人間とは全くの別人であろうと、勝手に思った。

こんな字を書く人間がこんな地図を描くはずも無く、またこんな地図を書く人間がこんな字を書けるはずも無いのは想像に難くない。この地図を見て、これが地図だと分からなかったら困る、と考えた誰かが、後から書き添えた事も容易に想像出来る。

地図を書いたヤツはともかく、字を書いた方には会って見たい気もする。