伯母はすでにぐちゃぐちゃの顔で
あたしの顔を見るなりあたしを抱き寄せた

「もぅ...
 何であんた...
 ......
 どうしてこんなことに...」

伯母もまた、あたしと同じように
現実を受け止められずに混乱していた


兄を病院から連れ出した後は
怒涛のような時間が流れ
気が付くとあたしは
真っ黒なカラスとなって
自分の部屋の
鏡の前に立っていた



「...乙羽ちゃん

 
 そろそろ...

 出発...
 するそうよ...」


目も鼻も耳も真っ赤にして
泣き腫らした様子の伯母が
少し遠慮がちに背後から声をかける


あたしが小さく頷くと
伯母は辛そうにハンカチで
目頭を押さえ部屋を出て行った



「はい...
 これはあなたが持ちなさい」


そう言い伯母が
あたしの胸に抱かせたのは
白く冷たい陶器の壺


「お父さんと、お母さんの元に
 ちゃんと、送ってあげようね...」


誰かに冗談だと言ってほしいのに...
性質の悪い冗談だと
うそだと思いたいのに...

一つ一つの言葉が
残酷な現実へあたしを引き戻す


あたしはうつむいたまま
何度も...何度も...
大きく頷いた





ポツ...
ポツ...

朝からずっと
低く轟いてた雨雲たちが
とうとう大粒の雨粒たちを解き放つ


サァァァ.....


容赦なく降り出した
真冬の冷たい雨に
参列者たちは皆、
肩をすくめ
建物内へと走り出す


 空も泣いてる...


兄は優しく誠実で
友達も多かったから
きっと多くの人が悲しみ
それが空に届いて
悲しみの雨となって
地上に降り注いでいる



「あなたが風邪ひくと
 智クンが心配するでしょう?」


伯母が傘を差しかける



 伯母さん...

 死んじゃった人は
 もぅ...
 何もできないんだよ

 雨に濡れるあたしを
 心配する事も...



あたしは唇を噛みしめ
コートの襟元を引き寄せる


 身体が冷えれば
 コートを羽織ればいい...

 じゃ...
 心の冷えは...?


現実的な孤独が
あたしを襲う


 今のあたしには
 この先の不安を
 拭う事ができない...

 この先の未来を
 想うことができない...











一人だと...

生活のリズムを
忘れてしまうね

お兄ちゃん



朝、起きて。

ご飯を食べて。

夜、眠る。


こんな当たり前の日常すら
今のあたしには
とても困難で...


何をする気にもなれなくて
ただ...

部屋のあちこちに残る
兄の面影や残像を見つけては
その場所から離れられずにいた



心が...
バランスを失う



水揚げされた魚のように
パクパクとうまく呼吸できない...


苦しくて...
苦しくて...

ただ、ただ...


苦しくて...





そんな苦しい日々を過ごす中
ある男が兄を訪ねて来たことで
あたしは兄が生前 抱えていた
苦しみを知ることになる





「...という訳で

 こちらも
 慈善事業ではないので
 借りたお金はキッチリと
 お返しして頂かないと...」


男が目の前に
「借用書」を広げる


「ですが...」


「借りた本人が
 亡くなったからと言って
 こちらもハイ、そうですか。と
 簡単になかったことには
 できないんですよ...」


「でも...
 こんな大金 あたし...」


「そうですか...

 ま、あなたが支払えなければ
 井上さん...ご夫妻に
 お願いするしか...」


「ぇ...?

 やめて下さい!!
 伯母たちには関係ありません」


「関係ないことはないでしょう
 甥っ子の借りた金なんですから...」


「そんな...」


「まぁ、でも、あんたなら
 チャチャッと2、3年ですぐに
 返済できると思うけどね」


「...ぇ?」


「あんたなら2、3年で
 返済できる所を紹介するよ」


クチャクチャとガムを噛み鳴らし
サングラスの奥の瞳は薄気味悪く
笑っている


多額の借金を2、3年で完済...

それがどういう事かということくらい
十分、分かっているつもりだった

でも今まで誰かに守られ生きてきた
世間知らずなあたしの考えなんて
甚だ(ハナハダ)幼稚で、自分の考えがどれほど
甘いかという事を 後でイヤになる程
思い知らされる





「...分かりました。

 お金はちゃんと
 お返します...

 だから...
 伯母さんたちの所へは...」


「あなたが返済に応じて頂けるなら
 他の誰にも迷惑はかけませんよ」


 どうして兄は...

 こんな人たちから
 お金を借りたのだろう...


「...それでは
 ここと、ここにサインして...」


 言葉こそ丁寧に努めているが
 常識などおよそ通用しそうにもない
 性質(タチ)の悪そうな男

 こんな所からお金を
 借りないといけない程
 苦しんでたなんて...


兄が何に苦しんでいたのかも知らず
のうのうと生活していた
自分の甘さに吐き気がした

サインが済むと男は
上機嫌で帰って行った


 ゴメンネ...
 お兄ちゃん

 あたし...
 まるで子供だったね...
 本当、笑っちゃう...
 
 お兄ちゃんが何に
 苦しんでいるかなんて
 考えたこともなかったよ...

 こんなに苦労...
 かけてたなんて...
 あたし...


 本当..ゴメン...


悔いても悔いても
悔やみきれない想いが
大粒の涙となって頬を伝って
零れ落ちていく


♪♪~~♪

携帯の着信音が鳴り響く

画面には
親しくさせてもらっている
近所の喫茶店のマスターの名前が出ている