イッペー君は当時を懐かしむように、目を細めて楽しそうに話している。
そんな姿をあたしはぼんやり見つめていた。
「そしたら、その150……ちょっとしかないような、ちっこいヤツがな。『あたしも撮る』って言って、勝手に同じ風景を撮影してん」
「うん」
「そんで、家に帰って、再生してみたらな」
「うん」
「おんなじ風景やのに、全然違って見えてた。20センチの差っていうの? ああ、あいつの目には、こんな風に景色が映ってるんやな……って、なんか不思議な気持ちになって、繰り返し再生してた。繰り返し……何度も、何度も……」
「……うん」
「オレは今でも時々思うねん。
同じ場所にいても、同じものが見えてるとは限らへん。見る角度によって、目に映るもんは人それぞれやもんな。
ましてやどう感じるかなんて……やっぱりそれぞれで……。
他人の気持ちを理解したつもりになったとしたら、それは“思い上がり”以外のなにものでもない」
そこで、イッペー君はハッとしたような顔をした
「って、オレ、何の話してるんやろ。わけわからんよな」
「ううん……」
あたしは首を振った。
「そういう話好き」
そう言うと、イッペー君は「そっか」と呟いてから、照れくさそうに笑った。
「ねぇ、先生?」
「んー?」
「その子のこと……好きだった?」
なんとなくだけど、そう思った。
イッペー君はそれには答えなかったけど、「昔の話や……」そう言って、その話を切り上げてしまった。
なんでこんな話をあたしにしてくれたのか。
きっと理由なんてない。
ただ、今たまたまあたしがここにいたからそうしただけ。
多分あたしじゃなくても良かったんだと思う。
それでも……
「先生? その話、誰かにしたことある?」
「ないよ。サクラが初めて」
そう言われて、満足感みたいなものがこみ上げてくる。
一瞬だけ……イッペー君を独り占めできたような。
そんな気分に浸っていた。
きっと今、あたしの頬は緩んでいる。
傾きかけた日差しがあたしとイッペー君を染める。
このまま時が止まってしまったらいいのに。
窓枠に手を置き、外を眺めているイッペー君。
拳1つ分のスペース。
あたしの手をほんの少しずらせば、彼の手に触れることができる。
その距離に……またドキドキが増す。
緊張で冷たくなった手で窓枠をギュッと握り締めた。
この空間に鍵をかけて、誰も踏み込めないようにして、
イッペー君を閉じ込めてしまいたい。
そんなことを想像する。
この感情を恋と呼ぶのならば……
きっと
あたしの心臓……
いくつあっても足りない。
どうしよう。
恋が。
――恋が、動き出してしまった。
言わなきゃ良かったのか。
何度も振り返っては後悔した。
あの夏の日。
あたしはイッペー君に告白した。
窓の外に見えるのは大きな入道雲。
どこからともなく聞こえてくる
運動部のかけ声と吹奏楽部の基礎練習の音……それから演劇部の発声練習の声。
「あー・えー・いー・うー・えー・おー・あー・おー」って。
ああ……青春。
そしてその全てをかき消すほどのセミの合唱。
夏休みに入ったというのに、あたしは学校にきていた。
1学期の期末テストも散々の結果に終わったあたしは、結局、現国の補講を受けることになってしまった。
しかもあたしだけとか。
ああ……ありえないし。
なんて思いつつも、頬は朝からゆるみっぱなし。
ダメだと思っても、ついニヤけてしまう。
だけどイッペー君と二人だけの授業は、うれしい反面、ちょっと困る。
だってすぐ目の前にイッペー君がいるんだよ?
窓際のあたしの席。
イッペー君はその前にイスをこちらに向けて座ってる。
まさにマンツーマン!
緊張しすぎて、ヘンな汗でてきそう……。
そんなこと考えてたら、余計に緊張してきちゃって……。
うっ……なんか吐きそう。
気持ち悪くなってきた。
クラクラする。
てか、なんで夏なんだ!
こんな至近距離にいたら、ヘンな匂いしないかな……とか気になっちゃって
とてもじゃないけど、授業に集中なんてできない。
大丈夫。
“SEABREEZE”、何回も振ったし!
――なんて自分に言い聞かせてみるも。
背中をツーっと伝う汗。
何あたし!
多汗症か! 多汗症なのか!
「ううっ……」
うつむいてシャーペンをギュっと握り締めていると、頭上からイッペー君の声がした。
「サクラ?」
「うわぁ」
顔を上げると、目の前にはイッペー君のどアップ。
相変わらずお目目クリクリだし。
汗ひとつかいてないような涼しい顔してる。
こっちはさっきから自律神経が麻痺してんじゃないかってぐらい、動悸息切れ眩暈に襲われているというのに……。
「お前……大丈夫?」
「えっ?」
「さっきから、オレの話、全然聞いてへんやん。今、何か別のこと考えてたやろ?」
「うっ……」
まさに図星。
まさか多汗症について思いを巡らせてました……とは言えるわけもなく。
「え……と、あの……」
なんてモゴモゴ言っていたら、
イッペー君は、ぶはって吹き出す。
「お前はぁー、ほんま面白いなぁ。さっきから一人で百面相してるし。ま、えーわ。今日はもうこれで終わろっか。はいっ、オシマイ」
そう言って、トントンと教科書やノートをまとめるイッペー君。
「はい~」
あたしもプリントや筆記用具を鞄にしまいこむ。
残念……もう終わっちゃうのかぁ。
「あー……でもまだ時間あるなぁ……」
イッペー君はチラリと腕時計を確認する。
すると、なぜかポケットからライターを取り出した。
「先生……吸いたいの?」
「うわっ。無意識に出しとった!」
自分の手の中を見て驚くイッペー君。
ほんとに無意識の行動だったみたい。
コノヒト、時々、間抜けなことするなぁ……なんて思ったりして。
「いいよ。吸っても。内緒にしててあげる」
ふふふって笑ってそう言うと、
「いやいや、そういうわけにもいかんから」ってイッペー君は頭を振る。
そして、カチカチとライターの蓋を開けたり閉じたりしてる。
――あれ?
帰らないのかな?
席、立たないの?
不思議に思いつつも、せっかくだからと、あたしは目の前のイッペー君を鑑賞することにした。
「あー……夏休みだねぇ……」
イッペー君は窓の外を眺めてポツリと呟く。
そしてライターを持っていない方の手で、ダルそうに頬杖をつく。
イッペー君って、体のわりに手が大きいような気がする。
イッペー君の指、好き。
チョークを軽く持ってるところが好き。
ライターの蓋、カチカチする手つきも好き。
長い指でトントンってノートをつつくとこも好き。
――この指で触れられたら……
あたし
きっとどうにかなっちゃう。
“キュン死”どころの騒ぎじゃない。
多分……溶ける。