桜、ふわふわ ~キミからの I LOVE YOU~

一瞬、驚いたような顔をした菊池君に、あたしはヘヘっと笑う。


「でもいいの。自分で決めたことだから。後悔してもいいんだ。
……なんてね。真崎先生のうけうり」


「なんだよソレ。わけわかんね。お前ってM?」


菊池君は眉をひそめる。

そして

「お前のそういう、ちょっと変わったとこが好きだった」と笑った。


「何それ? あたし変わってる?」


自分ではよくわからない指摘をされて、あたしはキョトンとする。


「うん、変わってるよ。時代劇マニアの女子高生とかありえねーし」


菊池君は呆れ顔でそう言った。


そして聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で「お前みたいなヤツあんまいねーよ」って呟いた。

「んじゃ、そろそろ帰るわ」


「うん。気をつけてね」


二人同時に立ち上がってみて気づいた。


菊池君の言ったとおり、彼はまだまだ成長途中なのかもしれない。

たしかに1年生の頃と比べればグンと目線が上になっている。

きっと彼は今よりもさらに素敵な男の子になるんだろうな……って思う。



「あ……そだ」


ドアノブに手をかけた菊池君は何かを思い出したかのように振り返った。


「言っとくけど。
“今まで通りお友達で……”なんて調子のいいこと言うなよ。オレ、そこまで人間できてないから」


「うん」


わかってるよ……とあたしは小さく頷いて返事をした。



誰かを傷つけるってそういうことだ。


元通りになんて簡単には戻れない。


その覚悟があった上で、あたしは菊池君に自分の気持ちを伝えたのだから。


だけど菊池君はいつものように微笑んで


「じゃ、明日は学校来いよ」って言ってくれた。


菊池君が帰った後、あたしはカレンダーを見つめた。


三学期も残すところ後わずか。

イッペー君とあの教室で過ごすのも……。


その時、あたしの中ではある決意が生まれていた。


イッペー君のためにあたしができること。


“生徒”として、あたしができることをしよう。


そう思っていた。



次の日からあたしはいつものように登校した。


いつものように授業を受けて、

いつものように芙美とはしゃいで、

時には木村君とバカな話しで盛り上がったり。


残り少ない高2の生活を満喫していた……


つもり。


いつもどおり笑えていたはず。


そんなあたしの小さな変化に気づく人は誰もいなかったと思う。



あたしは……


あれからイッペー君のことを意識的に避けていた。

久しぶりに登校した日。


朝一番に職員室に寄って、真崎先生とイッペー君に、車で送ってもらったお礼を言った。


それ以来、イッペー君には話しかけることもなく、近づくことすらしていない。


廊下の向こうからイッペー君がやってくると、わざと渡り廊下で曲がったり、トイレに逃げ込んだりしていた。



菊池君には「諦め方がわからない」って言ったけど。


あたしは“諦める方法”を探していた。


イッペー君に対する“好き”を

“恋”じゃなくて、先生としての“好き”に戻そう。


それが生徒として、あたしがイッペー君にしてあげられることじゃないかって


そう思っていた。



そしてイッペー君の最後の授業。


その日もあたしはできるだけ、イッペー君と目をあわさないようにしていた。




それでもイッペー君の低い声に神経を刺激されて、

それだけで泣きそうになったりもした。


そんな時はイッペー君が黒板に文字を書いている時だけ、そっと顔を上げて背中を見つめた。


カツカツ……ってチョークの音が響く。


「うわっ。折れたし」


またチョーク折ってる。


「イッペー君! 筆圧強すぎ!」


木村君のツッコミにクラス中が笑った。


「うるさいわっ」


クルリと振り返ったイッペー君は、木村君に向けてチョークを投げた。


チョークは木村君の頭に命中。


「うわっ。当たった」


自分で投げておきながら、イッペー君はじっと自分の指を見つめて驚いている。

「痛ぇ……。ちょ、やること古すぎっ。マジでチョーク投げる先生、初めて見た!」


木村君のその言葉にまたみんなで笑った。


だけどあたしだけが上手く笑えなかった。


笑わなきゃ。

みんなと同じようにしなきゃ。


そう思えば思うほど、顔がひきつって……上手く笑えない。



唇が痙攣を起こしたみたいに震えて、視界がじわりと涙で滲んで……。


黒板の文字とイッペー君の姿がゆがむ。


慌ててうつむいたら、涙が一滴、ポタリとノートに落ちた。


あたしは拳をギュッと握る。


“好き”って感情はどうやったら無くなるんだろう。


教科書にも載っていない


“恋の終わらせ方”。



いくら考えても、あたしにはわかんないよ。


――ポタ……ポタッ…


涙がポロポロと零れる。


どうしよう。

髪で顔を隠しながら、そっと涙をぬぐっていると、イッペー君の声が響いた。



「えー。今日で最後の授業なので、ちょっと挨拶を……」



教科書で半分ぐらい隠した顔を、そっと上げた。



イッペー君はグルリと教室を見渡す。



「正直、至らないところも、いっぱいあったやろうな……って思う。
授業もしょっちゅう脱線したし。
このクラスはちょっとスベってもいちいち誰かが突っ込んでくれるから、ほんま助かりましたっ」


冗談っぽく言うイッペー君の言葉に、クスクスと笑い声が起こる。


だけど最後に真剣な表情になったイッペー君は深々と頭を下げて、こう言った。




「1年間、授業を受けてくれてありがとう」




「はいっ。そんだけっ。以上」


パッと顔を上げたその表情はいつものイッペー君に戻っていた。



「えー。そんだけかよー。もっと熱く語ってくれるのかと思ったのに!」


誰かが不満そうに言う。



「熱く語るって、オレのキャラちゃうやん」


イッペー君はポリポリと首の後ろを掻いて、ちょっと照れくさそうに言う。


「まぁ、なんていうか……。
さっきの言葉が、オレから2-Eへの『I LOVE YOU』です」


一瞬静まり返った教室。


「うわっ。『I LOVE YOU』とか、こっちが照れるしっ」


また誰かがツッコミを入れた。


それをきっかけにクラス中が騒ぎ出す。