「……コホッ」
なんだか、頭が重くて、寒い……。
少しここで休もう。
教室の後ろまで行って、以前イッペー君が居眠りをしていた席に座った。
――ポタッ……ポタッ
机の上に涙が落ちる。
それをカーディガンの袖で拭った。
「うう……」
ここは声を出して泣いても大丈夫?
机につっぷして、泣きじゃくる。
そのうちにほんの少し頭がクリアになって
さっきのイッペー君の言葉が頭に浮かぶ。
――「無駄」だなんて。
どうしてそんな風に言ったんだろう?
夏休みに告白した時、あたしはたしかに振られたけど。
それでもあの時イッペー君は
「近寄られるのは迷惑じゃない」
って言ってた。
さらには「これからもよろしく」って。
それは勝手に好きでいることを許されたんだとあたしは理解していた。
それなのに、さっきイッペー君はあたしをはっきりと拒絶した。
あの時と今、何か心境に変化があった?
――菊池君?
「誰にも譲る気ねーから」
そう課題に書いて提出した菊池君。
あの日、腕を引かれて国語準備室から二人で出ていった。
あの状況からして、イッペー君は菊池君があたしを好きだってことに気づいた?
だとしたら。
「サクラはサクラのことを好きになってくれるヤツと恋愛した方がいい」
っていうのは、菊池君のこと?
不毛な片思いを続けるよりも、菊池君と付き合った方が、有意義に高校生活を送れるって言いたかったのかな……。
ぐるぐる……
いくら考えても出なかった答えをイッペー君が出してくれた。
菊池君と付き合うべきだと。
それでもまだあたしは……
わからない。
わからないよ……。
――寒い、寒い、寒い。
頭……痛い……。
いつの間にか眠っていたみたい。
意識が夢と現実をさまよっていると
頭上から誰かの囁き声が聞こえる。
「……生徒……やもんなぁ……」
温かい手が頭に触れたかと思ったら、スッと髪を撫でられた。
その感触に体がビクンと震えて、あたしは顔を上げた。
「センセ……」
前の席に座って、イッペー君はじっとあたしを見ていた。
お互いに何も言わず、しばらくそのまま見つめ合う。
夕暮れが近いのか、教室内は薄暗くて
なんだか不思議な感覚。
まだ夢を見ているみたい。
イッペー君は口元に手をあてて、大きく息を吐き出した。
「お前なぁ……ほんま、心配させんなよ」
「え……」
「てっきりもう帰ってると思ってたのに。教室の戸締りしにいったら、まだ鞄置いてるし。めっちゃ探したし」
「……」
「まぁ……なんとなく、ここにおるような気はしてたけどな」
「先生、心配してくれたの?」
「うん。“先生”ですから」
イッペー君はうーんと伸びをして、立ち上がった。
「あたしのことなんかほっとけばいいのに……」
ほんとはうれしくて仕方ないのに、こんな可愛くないセリフが口から出てしまった。
「ほっとかれへんよ」
イッペー君はあたしの腕をぐいと引っ張った。
「もう、遅いし。送ってくわ」
その場で立ち上がったものの
足がよろけて、体が傾く。
――ポスン
ってあたしの体はイッペー君の胸の中。
「うわっ。ごめんなさい」
自分の力で立とうと思っているのに、思うように動いてくれない。
ふにゃぁ……って体の力が抜ける。
「おいっ。大丈夫か?」
イッペー君は片手であたしの体を支えると
もう片方の手であたしの頬、そしておでこへと順番に触れていった。
「お前っ、すごい熱やんっ。もー、アホか。こんな寒いところにおるから……」
「ごめんなさい……」
「ええって。んなことで謝んな」
イッペー君は自分のカーディガンを脱ぐと、あたしの腰に巻いた。
そしてフワリとあたしを抱き上げる。
「うわっ。あ、あたし重いから……」
というか、こんなの恥ずかしすぎる。
イッペー君の腕の中で、ジタバタと騒いだ。
「どアホ。病人は静かにしとけ。つか、これ以上騒いだら、落とすぞ!」
ほんの少し腕の力を弱めるイッペー君。
「き、きゃああああ」
おどしかと思ったのに。
本当に落とされそうになって、思わずイッペー君の首に腕を回してしがみついてしまった。
こんなのありえない。
今までで一番体が密着してるし、顔の距離が近い。
「ちゃんとつかまっとけよ。オレ、力ないし、落とすかもよ?」
意地悪っぽく囁くイッペー君の声が耳元で聞こえる。
息がかかって髪が揺れる。
「力がない」なんてウソつき。
軽々とあたしを持ち上げたくせに。
イッペー君の香りにクラクラする。
さらに熱が上がりそう。
あたしは何も言えなくて、
コクンと小さく頷くのが精一杯だった。
イッペー君に抱きかかえられたまま、あたしは国語準備室に連れて行かれた。
ソファに横になると、
「ちょっとここで休んでて、すぐ戻るから」
そう言い残して、イッペー君は出て行ってしまった。
記憶に残っていたのは、そこまでで。
またいつの間にか眠っていたあたしは、体に伝わる振動に気づいて目を覚ました。
革張りのシートに横たわっている。
強い芳香剤の香りとエンジン音に包まれる。
あたしは車の後部座席に寝かされていた。
「すみません。真崎(マサキ)先生」
助手席の方からイッペー君の声がした。
「いいよ。帰り道だし」
そう答えたのはおそらく生物の真崎先生。
真崎先生は40代半ばぐらいのベテランの先生だ。
どうやらこの車は真崎先生のものらしい。
「なぁ。小寺」
「はい」
「この1年間、教師やってみてどうだった?」
真崎先生の問いかけに、ハァ……とため息をつくイッペー君。
「少々、悩み中……です……」
「悩み? どんな?」
「なんていうか……距離感……みたいなものに」
「距離感って、生徒との?」
「ええ」
「そっか。生徒が大事か?」
イッペー君は考え込んでいるのか、しばらく黙って、それからゆっくりと、まるで自分に言い聞かせるように口を開いた。
「大事っすよ……。
大事すぎて……時々どう扱ったらいいかわからんようになります」