「って書いた。さっきの課題に……」
課題って……。
ひょっとして、例の『I LOVE YOU』を日本語に……ってやつ?
“誰にも譲る気ねーから”
その言葉に
――ドクン
って胸が鳴る。
頬が熱い。
菊池君はあたしの手首を放すと振り返った。
視線がぶつかる。
「オレなりの宣戦布告」
「宣戦布告……?」
――誰に?
菊池君の言ってる意味がわからなくて、ただ言葉を繰り返した。
これって告白されてるのかな?
「好き」だとか「付き合って」とか
そういった定番の言葉を口にしない菊池君。
――どうしよう。
こんなパターンは想像もしてなかったから、どう答えたらいいのかわからない。
恋愛初心者のあたしにはハードルが高すぎるよ……。
――ドクン、ドクン、ドクン
心臓がうるさい。
「あ……」
しばらく口をパクパクさせて……。
ようやく声を振り絞った。
「あのね……。あたし……」
「よくない返事なら……」
だけど菊池君の言葉で遮られた。
「よくない返事なら、すぐに答えるな」
「え……」
「オレのこと、ずっと考えてろよ。それから返事して」
「うん……」
コクンと頷いた。
そうしかできなかった。
菊池君はあたしの横を通り過ぎて、もと来た道を戻っていく。
あたしはしばらくその場から動けなかった。
菊池君の真剣さに圧倒された。
ジン……って
ずっと掴まれていた手首と…それから胸が痛む。
菊池君に言われなくても、きっとすぐに返事はできなかった。
「ごめん」だとか「好きな人がいる」だとか
例えそんな言葉を用意していたとしても
簡単になんて言えなかった。
だって、まっすぐに見据える瞳をあたしは知ってる。
あれはあたし自身だ。
菊池君が……まるであたしに見えた。
ねぇ。
イッペー君もこんな気持ちだったの?
ぐるぐる
ぐるぐる
ぐるぐる……って
頭ん中
あの日からずっと、
いくら考えても見つからない答えを探している。
その間に学年末のテスト期間に入り、
菊池君ともイッペー君とも話す機会はなかった。
そしてテスト最終日。
最後のテストを終えたあたしは、廊下で芙美と話しこんでいた。
「あー……もうダメ。マジやばいかも……コホッ」
あたしは廊下にペタンと座ってうなだれた。
テスト結果は、間違いなく過去最低の出来だと思う。
「はぁ……」
口から出てくるのはため息ばかり。
なんだか体もダルい。
結局菊池君への返事は保留のまま。
どうすべきなのか。
どうすることが一番良いのか。
その答えはまだ出せない。
まるで現国の解答みたい。
やっぱりあたしは正解のはっきりしない、なおかつたくさんの選択の中から答えを導き出すのが苦手だ。
現国といえば。
『I LOVE YOU』を日本語に……っていう、イッペー君の課題も提出できないでいる。
これもいくら考えても答えが見つからなかった。
この胸の想いは、どんな言葉で表せばいいんだろう……。
考えれば考えるだけ、それは輪郭のはっきりしないものになってしまって、これだという解答を得られない。
どうせ今回も現国の点数は期待できない。
だから、もうこのまま未提出でもいいかな……なんて思っている。
「はぁ……」
「悩んでるなぁ……」
何度目かのため息の後、横に座っている芙美が、ポンポンって頭を撫でてくれた。
「……“付き合う”って何だろう?」
あたしの唐突な質問に
「えらく漠然とした質問だねぇ」
と、芙美がクスクス笑う。
「ねぇ……芙美と小久保君て、どっちが告ったんだっけ?」
「んー? うちらはなんか曖昧なんだよねー」
「そうなんだ……」
「うん。好きになったきっかけって特になくてさ。
たまたま男女何人かで遊びに行った時に、帰りの方向が同じだから……って送ってくれて。
んで、そん時に『つきあってるヤツいるの?』みたいな話になってね。
それで『いない』、『じゃ、オレらつきあう?』みたいなそんな軽いノリで」
「じゃ、付き合ってから好きになってったの?」
「うーん。まぁ、そんな感じかなぁ。でも、顔もタイプだったし、言われて悪い気はしなかったよ」
「うーん……コホッ」
「嫌いじゃないなら
“とりあえず付き合ってみる”……っていうのも、アリだと思うよー」
「だいたいさー……」と、芙美はキョロキョロと周りを見渡す。
廊下はテストを終えた生徒達であふれかえっていた。
今から下校デートでもするのか、カップルで歩いている子達もたくさんいた。
「この中に“お互いに100%の愛情を持ったカップル”ってどれぐらいいると思う?」
「100%の愛情……」
「みんなどっかで折り合いつけてんだと思うよ? やっぱ一人はさみしいからさ。彼氏欲しいじゃん」
「うん……」
「かっこいいとか、背高い、とか面白いとか、場合によっちゃぁ、金持ってる……とかさ」
「うん」
「それだけでも、充分“付き合う”ことの理由にはなるんだよ」
芙美の言葉をかみしめながら、じっと上履きを見つめていたあたしは、「でも……」と、顔を上げた。
「あたしが難しく考えすぎなのかもしれないけど……。
“とりあえず付き合う”って、相手に失礼じゃないのかな?」
「そうでもないよ?」と芙美は肩をすくめた。
「多分、今の菊池はどんな形でも愛子が自分を受け入れてくれたなら、喜ぶよ。
んで、時間をかけてでも、自分を好きになってもらう努力をすると思う」
芙美の言葉は的を得ていた。
自分に置き換えてみればよくわかる。
例え100%の愛情でなくても、もしもイッペー君があたしの方を向いてくれたら、あたしはきっと尻尾を振って喜んじゃうだろう。
少なくともその瞬間は。
もしも、あたしに好きな人がいないなら、“とりあえず”菊池君と付き合ったとしても何の問題もないかもしれない。
だけどあたしは今イッペー君が好きだ。
他の人を想いながら、“とりあえず”付き合ったとして……。
それで誰が幸せになるんだろう……。
「コホッ……」
あー……ダメだ。
思考回路がショートして、頭からプスプスって煙が出てきそう。
ズキズキとこめかみが痛い。
「それとも……」
芙美がまた口を開いた。
「愛子には“とりあえず付き合う”ことができない理由でもあるの?」
「……そんなのないけど……」
言葉を濁した。
あたしは相変わらず芙美にさえイッペー君のことを言えないでいる。
先生を好きだなんて……。
誰にも言えないよ。