「おぅ」
イッペー君はお姉さま方の声援に応えて軽く手を上げた。
それに対してまた湧き起こる歓声。
「きゃー」だって。
ふーんだ。
デレデレしちゃって。
って、思った瞬間。
「スキあり!!」
男子から集中攻撃を受けたイッペー君の顔や頭は雪まみれになってしまった。
「うおおお。アホかお前ら!」
ブンブンと首を振って雪を払うイッペー君。
「オレを本気にさせてしまったね。後悔させてやる。ふははははは」
そしてしゃがんで雪をかき集めると、猛スピードで男子の一人を追いかけ始めた。
走る、走る、走る。
とうとう男子を捕まえると学ランの襟口から雪を入れた。
「冷て―――!」
「ぎゃははははー! イッペー君、鬼!!」
いつの間にか増えたギャラリーも大騒ぎ。
中庭に生徒の笑い声が響き渡る。
今度は雪を服の中に入れられた生徒からの反撃が始まった。
逃げる、逃げる、逃げる。
ほんと、ワンコみたい。
だけど、とうとう疲れたのか、植え込みの後ろに避難した。
――あ、ズルッ子。
隠れてるつもりかもしれないけど、上から見ているあたし達には丸見えなのだ。
男子の一人、木村君がイッペー君を探してキョロキョロしてる。
芙美がスクっと立ち上がって窓から身を乗り出した。
「木村!――ここ、ここ」
窓の下、つまり植え込みの裏を指さす。
そして男子に囲まれたイッペー君はまた雪まみれ。
その瞬間、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
頭に雪が乗っかったまんま、イッペー君は恨めしげにあたし達を見上げた。
「裏切りものめ!
大木戸~! サクラ~! お前らぁ、バツとして放課後、国語準備室来いよ」
「は? え? あたしも?」
キョトンとして自分の顔を指差すあたしに、イッペー君は一瞬だけフフンって感じの不敵な笑みを浮かべた。
「っていうか、何のバツよー?」
「いーから、来るべし」
いつものように面倒くさそうにそう言うと、イッペー君はパンパンと雪を払い落としながら校舎の中に消えていった。
きっかけだとか
理由だとか?
好きって感情を説明するのには
得てしてそういうものが
必要だったりするのだ。
あれは緑が眩しい新緑の季節。
1学期の中間テストの結果が出てすぐのこと。
あたしはイッペー君から呼び出しをくらった。
放課後の職員室。
イッペー君はイスをクルリと回してあたしの方を向いた。
「サクラはぁ、国語、苦手?」
あたしの現国のテスト結果は、赤点こそ免れたもののかなりスレスレといった感じだった。
他の科目は……古典ですら結構できる方だ。
それなのに、よりによってイッペー君が担当している現国だけは苦手だった。
それを気にしたイッペー君は、話がしたいと、あたしを呼び出したのだ。
「……苦手っていうか……嫌いっていうか……」
「んんんー? 嫌い? なんでや?」
イッペー君は手持ち無沙汰なのか、さっきからライターの蓋をカチカチと開けたり閉じたりしている。
――タバコ吸うんだ。
なんとなく意外。
校内は禁煙しなきゃいけないから、結構ツライんじゃないかなぁ……なんて、今考えなきゃいけないこととは別のことを、あたしは考えていた。
「……サクラ?」
その声にハッとした。
なのに、またあたしは別のことを考える。
あたしの名字は“咲楽”と書いて“さくら”と読む。
だけど、なぜだかイッペー君に呼ばれている時は、なんだか下の名前を呼ばれているような気分になる。
たとえば、“桜”と書いて“サクラ”と読む名前とか。
だからあたしは、勝手に頭の中で変換するの。
“咲楽”じゃなくて“サクラ”ってカタカナで。
「おーい。サクラさーん、聞いてはりますか~?」
気がつくと、イッペー君に顔を覗き込まれていた。
その距離にトクンって心臓が音を立てた。
イッペー君の……匂いがしたから。
香水とタバコの入り混じったような……大人っぽい香り。
――ずるい。
子供みたいな顔してるくせに。
こんなのふいうちだ。
トクトクと心臓が落ち着かない。
赤くなりそうな顔の熱を下げようと、そこに神経を集中させる。
なのに、イッペー君はまたも顔を覗き込む。
「なぜ嫌いなんでしょう? 理由を述べよ」
クリクリの目で尋ねられ、あたしはモゴモゴと答える。
「だって……」
「ん?」
「答えが……」
「ふむふむ」
「1つじゃないから」
「ぶっ」
イッペー君はズルってイスから滑り落ちそうになって、吹き出した。
「そんなに笑わなくても!
だって、答えがはっきりしないって気持ち悪くない?」
あたしは数学みたく、スパーンって1つの答えが導き出せるものが好き。
国語の答えなんて、あってないようなものだと思わない?
何が間違いなの?
何が正しい?
それは誰が決めるの?
この物語で作者が一番伝えたかったことはどの部分でしょう?
んなの、作者に聞いてくださーい
って感じ。
ムキになってそのことを訴えると、イッペー君はますますゲラゲラ笑い出した。
その声があまりにも大きかったので、「小寺先生」と隣に座るベテランの山本先生に注意されたほどだ。
「あ、すみません」
とイッペー君は肩をすくませた。
「ほらっ。サクラのせいで怒られたし。最悪っ」
「ちょ……それあたしのせいー?」
口をとがらせて文句を言うと
イッペー君はクスクス笑いながら席を立った。
「じゃ、ちょっとあっちでじっくり話そうか」
連れていかれた先は、食堂前に設置されている自動販売機。
チャリンチャリン……
小銭を入れながらイッペー君は振り返った。
「サクラ、何飲むー?」
「え。いいよ! 自分の分は自分で買うし」
慌ててポケットの中に手を入れる。
「ええから。何飲むねん」
「じゃ……“牛乳屋さんのコーヒー”で」
「ぶはっ」
何がツボにはまるのか、イッペー君は「牛乳屋さんて……」と呟くと、またゲラゲラと笑った。
そしてさらに「サクラって意外と……」って肩を揺らしながらブツブツ呟く。
なんなんだ、いったい。