「頼む」
 隣から声が聞こえた。腕に唸りをつけて、思いっきり振る。芳空の体がよろけて倒れる。
 拳が痛み、腕に痺れが走った。痛いが、却って頭が少しでも冴えるので構わない。芳空の声が聞こえなければ、明千もそろそろ芳空に同じことを頼もうと思っていた。
「うさぎ、ちょっと待ってくれ」
 少し先を行く小さな白い獣に声を掛ける。うさぎは聞き分け良く止まり、近くの草を口にした。
 芳空は手を付き、肩で息をしている。
 明千は、芳空が立ち上がるのを待った。目の端を、人差し指ほどの大きさの虫が飛んでいった。明千は素早く小刀を出し、その虫の方へ投げた。小さな音がして、見ると地面には小刀で頭を貫かれた虫が、緑色の羽を広げて死んでいた。後脚が太く大きい。汚れを拭って小刀を仕舞い、虫は腰から提げた小袋に入れた。夜の糧だ。

 岩壁で、あの人語を解すうさぎが頷いた直後、辺りは夏の真昼よりも明るくなり、明千は気を失った。
 気付いたのは平らな地面の上だった。空は明るい。夜明けのようだった。荷を背負ったまま、地面にうつ伏せていた。岩壁から落ちたにしては、体に異常はなかった。すぐ側に芳空もいて、その体を揺すって起こすと、芳空も気付いて体を起こした。
「どこだここは」
「分からん」
 大きな岩があるほかは、動物の気配は無く、草が青々と茂るばかりだ。所々に高い木もある。
 辺りを少し見て回る。
「おい、明千」
 芳空に呼ばれて見ると、そこには焚き火の跡があった。丁寧に火の始末がされている。