からん、と。
氷だけになったグラスを置いて清水が立ち上がる。

「そういう夜は、愛しい人と共に過ごすに限りますよ」

耳に優しい声音に、紫馬が訝しげな視線を向ける。

「何、それ?
やっぱり、俺に落ちたんじゃん。
照れないでよ、優しくするから」

惰性のように、下卑た台詞を口にする。

「ええ、優しくして差し上げてください。
私は、月でも見ながらのんびり歩いて帰りますから」

清水は財布をポケットから取り出し、千円置いた。
紫馬はそれを見て、諦めたように口を閉じる。

「じゃ、それ使ってタクシーで帰ったら?
夜道で襲われたらかっこつかないでしょ?」

「ではお言葉に甘えて」

返された千円札を持つと、それ以上言葉も交わさず清水は店を出て行った。


後に残されたのは静寂のみ。
立ち上がって、いまどき珍しいレコードを、優しくプレイヤーにかける。

流れ出すのは古い映画――ティファニーで朝食を――でお馴染みのムーンリバーだ。

「頭の回転が速いオトコってのは、いやだねぇ」

席に戻りながら、紫馬がぽつりと呟いた。