「あら、紫馬さん、いらっしゃい」

看板さえ出してないその建物に、紫馬は迷うことなく足を踏み入れる。
清水もその後に続いた。

入り口近くのカウンターで、30代半ばと思われる女性が着物姿で優美な笑みを浮かべていた。

「あらぁ、紫馬さんって女性だけじゃないのねぇ」

後に続いて入ってきた紫馬を見て、目を丸くする。

「ああ、そうだよ。知らなかった?」

紫馬は面白そうに唇を歪めて、一番奥の席へと座った。
清水は居場所を決めかねて、突っ立っていた。
十人も入ればいっぱいになるような狭い店内だが、客は他に居ない。

いや、空になったグラスが三つ。テーブルの上にある。
客が帰ったばかりというところだろう。

「知らなかったわ。
ねぇ、その中の一番良い男を私に回してくれれば良いのに」

リップサービスなのか、本気なのか。
グラスを片付けながら、女は妖艶な笑みをその口許に浮かべた。

「うーん、だったら彼だねぇ」

紫馬が剣呑な瞳でちらりと清水を見た。

「あら、そうなの?」

女性は初めて清水を真正面から見て、にこやかに微笑んだ。
その、笑顔に見覚えがあって清水ははっとする。