そして、もう一度、壁に貼ってある各種料金表を見てみる。よくはわからないけれど、色んなマッサージコースがあるようだった。飲み物も、お酒まで置いてある。一体誰が、カクテルを飲みながら伝統タイ式マッサージをしてもらうのだろう。その合間に、何を食べるというのだろう。夜、こういうところはどんな風になるのだろう。
 何となくそんなことを考えていると、ドアのノックが聞こえて、そして、ドアが開いた。
 ふとそちらの方を見ると、わたしは、思わず、驚きの余り、硬直してしまった。
 ぽかんと口を開け、目を丸くして。
 それでも、構わず、その人はごく普通に部屋に入ってくると、ドアを閉めて、そして、何くわぬ顔で、手にしたカゴの中の筒っぽい器を指差しながら、
「ラベンダー、ジャスミン、シダーウッド、ベビーパウダー、どれがいい?」
 と、訊いた。
 わたしは、思考回路が停止してしまって、答えられない。何か言おうとすると、余計に、空回りしてしまう。 
 すると、彼は、肩をすくめて、
「マッサージ後に、足裏マッサージをするんだけど、その時に使うパウダーなんだよ」
と言いながら、わたしのすぐ傍で膝をついて座ると、そのカゴを目の前に持って来た。
 できることなら、壁際まで下がってしまいたかったけれど、腰が抜けてしまったのか、動けない。そうーー、目の前に居るのは、あの彼だったのだ。何ていう運命のいたずらだろう。冗談にもほどがある。ああ、どうか、マッサージ施術するのは、彼ではありませんように。心の中で必死に祈りながら、わたしは、黙ったまま、彼を見詰めていた。目が離せなくなってしまったのだ。まるで、目が彼に吸い付いてしまったかのように。