ーー何だったのだろう?
ただ、それが言いたかっただけ?
それとも、彼は、わたしと話す機会を窺っていた?
確かに、朝食時、視線を感じることが幾度かあった。
その他にも、ロビーへ向かう途中の急斜面で。
このホテルは、山の斜面に建てられている。ロビーはその麓の方に位置し、わたしの泊まっている棟は、そのずっと上の方にある。だから、ロビーに行くには、急なこう配の斜面を降りていかなくてはならない。
その坂の途中、近くに、確か、従業員が休憩で溜まっている場所があった気がする。そこから、誰かが見ているような気がしていたのだ。
もしかして、さっきの彼だろうか。
嬉しいような、怖いような、恥ずかしいような、それらが入り交じった困惑を覚えつつ、わたしは、思わず席を立った。そして、そのまま、部屋にも戻らず、ロビーへ向かった。
何故か、上の空でキーを預け、そのまま、外へ散歩に出た。

歩いていても、今、自分がそこを歩いているという実感を、抱けないままでいた。それよりも、他の考え事が、どっと脳の中に押し寄せてきて、今、そこに居る実感を、押し流そうとしていた。
突然、後ろからクラクションを鳴らされて、今、自分が道路にはみ出そうになっていることを知った。慌てて道路脇に寄ると、わたしは、車が途切れたところを狙って、急いで道路を横断した。そして、そのまま、砂浜へと降りる。
ここは車優先社会なので、道路は無鉄砲に走る輩も少なくない。今日のわたしのように、呆然と歩いていたら、きっと、命が幾つあっても足りないだろう。