「え……」


「もう少し、居て」


「あ……うん。いる」


おれはどきどきしながら、パイプ椅子に座り直した。


珍しい。


翠がこうして甘えてくるなんて、滅多にないことだ。


ここは病院で、病室なのに、不謹慎にもおれはどきどきしていた。


翠が可愛くて、仕方なかった。


おれの左手に、翠の細っこい指が絡み付いてくる。


「ね、補欠」


「うん?」


「あたしのお願い、きいてくれる?」


「無理なことじゃなければな」


翠の手に指を絡め返して微笑むと、翠は珍しく甘えた声で言った。


「翠辞書に、無理っていう言葉は存在しないもん」


「出た。翠辞書」


肩をすくめてケラケラと笑うおれを、弱い力でポカポカと叩き、翠は天井を仰いだ。


翠の腕は、いつの間に、こんなにも細くなったのだろう。


今にもポキリと行きそうで、おれはひどく不安になった。


少しの間があって、翠が話し始めた。


おちょぼ口を、ちょこまかと動かして。


「もし、甲子園に行けなかったら」


珍しく、甘い口調で。


「夏井響也の残りの夏は、全部、あたしにちょうだい」


そう言って、翠は目を潤ませた。


翠は、寂しかったのだと思う。


おれみたいな野球馬鹿じゃなくて、もっと普通の男と付き合っていたら、翠はもっと毎日が幸せだったのかもしれない。


毎日、一緒に登下校できるだろうし、休日は一緒に映画を観に行ったり、買い物に出掛けたりできるだろう。


日々、練習に明け暮れて、休日もまともに会ってやれないのに、翠はあまり文句を言わなかった。


野球とあたし、どっちが大切?


一度も、そんな事を言われたこともない。