―――ポーン ポーン


『……業務連絡、業務連絡、長澤さん、至急事務室まで』


夕方、晩ご飯を買い求めるたくさんのお客さんの中、アップテンポな音楽の間を縫って店長のアナウンスがスーパーに響き渡った。


「あ、呼ばれちゃった。すみません、ちょっと行ってきます。すぐ戻りますから」


レジで仕事に追われるバイトの女の子に“ごめん!”と両手を合わせると、あたしは急いでバックヤードの事務室へ向かった。


行く途中、ヘルプに回れそうなパートのおばちゃんに「3番レジ、申し訳ないんですけどヘルプお願いします」と頭を下げて。


あたし・長澤ミクはスーパーで働く社員。ここに勤めて5年目の、平たく言うと“お局(ツボネ)さん”になりかけてる27歳。


でもなんか……年下のバイトちゃんにも年上のパートさんにも必要以上にヘコヘコ頭を下げちゃう、いわゆる“小心者”なんだよね。


だけど、あたしの彼氏・セイジだけは『ミクらしくて好き』って言ってくれるんだ。


だからあたしは、セイジと会えない今日も1人遠くの街で頑張っていられる。
 

 
「店長、どうかしました?」


バックヤードに入ると、忙しい時間帯だったこともあって、あたしはさっそく店長に呼び出しの訳を聞いた。


「あぁ、今年もバレンタインの季節が来るなぁと思ってなぁ……」


店長は意外とのんびり屋。この忙しいときに限って話の腰を折るような言い方。簡潔に訳を話してはくれなかった。


「は、はぁ……」


あたしは、早く持ち場に戻らなきゃと焦る気持ちを押し殺して相づちを打つ。


「いやな、毎年で悪いんだが、発注は長澤に全て任せようと思っててな」


店長は、回転式の椅子に座って、頭の後ろに手を組んで、少し暗い蛍光灯をぼーっと眺めながら言った。


「それなら大丈夫ですよ、店長。ちゃんと考えてますから」

「そうか。ならいいんだが。長澤を呼び出したのはそれだけじゃなくてな……」

「……はいっ?」


店長は変わらず同じ姿勢で呼び出しの本当の訳を話しだした。


聞き返したあたしは、いつもと違う雰囲気の店長に嫌な予感が頭をよぎった。


……あたし、まさかクビですか!?って。
 

 
「そんなに身構えるなよ。長澤をクビにしようなんてことはないから」


あたしの気持ちが分かったのか、店長は軽く笑い飛ばした。


「じゃあ、なんですか?」

「長澤の彼氏、今度は新潟支店に転勤だと。だから不憫(フビン)でならなくてな。本店から今連絡が入ったから教えてやろうと思って」


店長はそう言う。


「すみません。わざわざありがとうございました。早くに聞けてよかったです」


あたしはそれだけ言うと頭を下げてすぐに持ち場に戻った。





あたしの彼氏・セイジとは、あたしが新入社員としてこのスーパーに配属になったときに出会った。


最初はあたしの指導係としてついてくれたセイジ。その頃セイジは25歳、あたしより3歳上だった。


1ヶ月ほどの新人指導を終えたあとも何かとフォローしてくれて、そのうちお互いに恋愛感情を持つようになって。


つき合いはじめたのがその年の秋頃だった。それからかれこれ4年半のつき合いになる。


そのセイジがまた転勤で、今度は新潟支店……ますます遠恋になっちゃう。
 

 
あたしはその日、寂しさに押しつぶされそうになりながら仕事をこなした。


セイジまでの距離は、物理的なところで言うと今は新幹線で1時間くらい。あたしにとっては、それだけでも遠い遠い距離。


1年前、突然セイジから「仙台に転勤になった」と言われたときもあたしは身が裂かれそうだった。


だけど、セイジの「たった1時間だろ?」という言葉に支えられ、セイジが隣にいない日々にもやっと慣れてきた1年後の今年の冬。


この1年本当に寂しかったんだ。


お花見も花火大会も、秋のお祭りも冬の人恋しい季節も……あたしの隣にはいてくれるはずのセイジがいないんだもの。


どんなに寂しかったことか……。どんなにセイジに会いたかったことか……。


「これ以上遠くに行かないでよ、セイジ……」


仕事帰り、人もまばらになった駅の待ち合い室で、あたしはさらに遠くなったセイジまでの距離に凍えそうになっていた。


今は1月の半ば。きっと、月末にはセイジは新潟へ転勤しちゃう。


寂しいよ。


会いたいよ。


セイジ……。
 

 
そのとき、あたしの気持ちを察したように携帯が震えだした。急いで確認すると、それはセイジからの着信。


「もしもし?セイジ?」


寂しいながらも気持ちが浮かないことはなくて、あたしはすぐに着信ボタンを押した。


「ミク?」


セイジの声。温かくて優しくて、少しかすれてて……一気に愛しさが込み上げてくる、一番聞きたかった人の声。


「うん、あたし……」


あたしは涙声になりながらセイジが呼んでくれた“ミク”に精一杯応えた。


「なんだ。その声の調子からすると、もう転勤の話聞いたのか?店長は相変わらずご健在か」


セイジは電話の向こうでアハハと笑った。まるで、これからもっと離れる距離のことなんてちっとも寂しく思っていないように。


「……そ、そうなの。店長ったらわざわざ忙しい時間に呼び出してね、何を言うかと思えばセイジの転勤の話……笑っちゃうよね」

「ミク……距離なんて関係ないだろ?寂しく思うことはないから」


心配させちゃいけないと思って明るく振る舞ったのに、セイジにはお見通しだったみたい。
 

 
少し落とした声のトーンが、あたしが何に寂しさを感じているのかを敏感に感じ取っていた。


セイジも寂しくないわけないんだよね。あたしが涙声で電話に出たから、少しでも明るくしようとして……。


「そうだね。今までだって会おうと思えば会えたんだし……新潟くらい近いよね?」


だからあたしも明るく送り出そうと思って、子どもでゴメンねって思いながらそう言った。


「当たり前だろ?海外に転勤になったって、ミク以外の人は全員ジャガイモに見えるし」

「あはっ、そっか」

「そうだよ。浮気なんてできないくらい、今も忙しくしてるから」

「うん、ありがと。セイジ、体には気を付けてね」

「ちゃんと自炊してっから心配すんな。タバコも吸ってないから」

「ふふっ。そっか、なら安心」

「もう俺も30だしなぁ。メタボにならないようにしてるよ」


いつもの声、いつもの報告、いつものセイジ。全部が全部、いつも通り……。


「メタボ?それでもあたしは好きだよ?」


いつも通りのセイジが嬉しくてあたしはいつの間にか笑っていた。