三成が目覚めた時、利家の姿はなく、夕暮れ時となっていた。太閤は眠っていた。三成は太閤の寝顔に最期の時を感じていた。一時の睡眠は三成をいつもの頭の回転が早い三成に戻していた。殿下あっての三成と言う言葉が三成の脳裏にふと浮かんだ。その言葉は今は亡き太閤の弟秀長のものであった。秀長は豊臣家の要として太閤を補佐し、豊臣家一門随一の実力者であった。また、三成の才能を高く評価していて、三成にとって厳しい兄のような存在であった。豊臣家一門、豊臣恩顧大名に特に信頼があり、太閤をよく支えた名将であった。まさに豊臣家の扇の要が秀長であった。秀長が病に倒れ、三成が見舞った時の言葉が殿下あっての三成であった。秀長は三成の態度が尊大であるのでそれを戒めるために言った言葉であった。秀吉の影である三成の行末を秀長もまた心配していた一人であった。太閤の最期を前にして三成にその言葉が重くのしかかり、秀長様が生きていればと、三成は強くそう考えていた。