三成には太閤が利家に何か頼み事があるのだろうと察していた。北政所や徳川家康と親しい利家を三成は警戒していたため、利家を呼ぶことに反対したのだが、太閤の強い意思に阻まれた。太閤は病に倒れた後に五大老五奉行の制度を定め、五大老を政治最高顧問として合議制により秀頼の補佐を行わせ、五奉行を政務を執行する者としていた。五大老と五奉行の調整役として三中老も任命されていた。五人の大老の中でも徳川家康の軍事力は他を圧倒しており、秀頼の後見人に任命した。三成は五大老の中で家康、利家を政敵と見なし、家康と利家を後見人として五大老の中でも別格として位置付けることに反対した。太閤は家康と利家の実力を評価しており、二人を外せば天下は乱れると考え、逆に二人を後見人として恩を与える事で豊臣家の難局を乗り切れると考えた。太閤は三成と違って利家が裏切るとは考えておらず、太閤亡き後、家康を封じ込め、懐柔するには利家の力と三成の才知が必要であると考えていた。また、三成を諌める者として利家を選んだのであった。太閤は豊臣家の行末を心配するのと同じくらい三成の将来を気にかけていた。三成の所領を加増し大老にするのがよいと考えはしたが、家康など有力大名たちの慎重論が強かったために断念した。三成は五奉行の一人として豊臣家蔵入地220万の差配など豊臣家の財政にも参画できるために政治力の基盤は確保されてはいたが、この後政治力が低下するのは避けられない。太閤は利家の政治力を背景にして三成を活かすことを考えたのであった。そのような太閤の想いは三成には分かっていなかった。利家呼び出しの使いを出してから長い沈黙が続いていた。三成は太閤の腹を探りたくてたまらなかったが、感情の起伏が激しい太閤の性格を知ればこそ我慢して黙っていた。太閤の顔は険しく、天井をずっと睨み、天下人の威圧感を漂わせていた。雨足が少し弱まった頃、利家が到着した。それに気付いた三成が利家を太閤の側に案内する。利家殿、よくぞ来て下さった 実は末期の頼み事があってな 利家殿 聞いて下さるかと太閤。太閤の真剣な眼差しは利家を圧倒した。利家はその老いた天下人の威圧に哀れみさを感じ、太閤の必死さを全力で受け止める覚悟を決めた。殿下、しかと利家 話を承りますぞと利家。まるで命のやり取りをしているかのような緊張感がそこにあった。