長い夜が明ける。朝方より雨が降っている。盆が過ぎ夏の盛りは過ぎ去ろうとしていた。雨が激しくなった時、太閤が目覚めた。太閤は起き上がろうとするがもはやそれができない。三成よ、わしの命運もここまでか 信長様の元へ行かねばならぬかと太閤。三成が言う、殿下 雨でございますと。三成よ、雨は好かぬと太閤。やがて医師団による診察が始まった。薬を処方されるも太閤はそれを飲むことができない。薬を飲むことがきないまで太閤の体力は衰えていた。医師団は三成に目を合わすことを避け、早々と立ち去った。三成、利家殿を呼べと太閤が言う。殿下、お体にさわりますぞと三成は諌めるも、太閤の迫力に押され、三成は呼び出しの使いを出した。利家とは前田利家の事である。太閤の古くからの友人であり、太閤と北政所の仲人でもあった。太閤にとって利家は大親友であった。太閤が天下人となると利家も引き立てられ、北陸の大大名となった。その実力は徳川家康には及ばないが、それに次ぐ力を持っており、豊臣政権を支える有力大名であった。太閤はすでに利家との別れを数日前に終わらせていたが、再度の呼び出しに三成は疑念を抱いていた。太閤には何か企みがあるに違いないと三成は心の中で思った。三成は義理固く豊臣家を支える才はあったが、武将としての器量に問題があった。戦国の世に大いに揉まれた太閤には三成の欠点が気がかりであった。その欠点を補うために武将として人望があり実力者である利家を三成の後ろ盾として、この二人が協力するのがよいと太閤は考えた。ただ、利家と三成の関係はあまりよくなく、利家は三成と距離を置いていた。三成は淀の方と親しく、利家は北政所と旧知の仲であったためであった。太閤の権勢を背景に若輩にして豊臣家を動かす三成を利家は快く思ってはいなかった。利家は豊臣家の五大老の一人としてまた、秀頼のモリ役でもあり、太閤亡き後の豊臣家にとって重要人物であった。そこで太閤は利家と三成が疎遠であることを憂慮していた。この二人には共通する性格があった。利家も三成も義理固い人物であったのだ。そこを太閤は利用して二人を親密にしようと考えた。人間関係において、秘密を共有することが結束を固めることができる。その方策を実行するために太閤は利家を呼んだのであった。