三成は長束正家と二人で話し合っていた。今後の最大の問題は、五大老に政治権力が移ることであると議論していた。ただ、豊臣家の蔵入地の管理など豊臣家の財務は五奉行に任せられているために、それが五奉行の強みであると認識が一致した。利家の元で五奉行が結束して天下を動かすことで政局の主導権が握れると考え、毛利輝元、宇喜田秀家、上杉景勝の三人の大老も利家に従うだろうと分析して、家康が容易に動くことはなくこれまで同様に懐柔できると判断していた。昼過ぎ近くになり、五大老、三中老、五奉行による評定が
始まる。全員出席であった。利家の口から太閤の死が伝えられ、今後は秀頼の元に忠義を尽くすという誓約の確認をした。太閤の葬儀に関しては、重要課題が山積しているために密葬をとりあえず行い、改めて葬儀を時期を見て行うことに決定した。これは北政所、淀の方の同意を利家が取り付けていたために反対する者はいなかった。そして利家が秀頼と共に大坂城に入り、家康が伏見城にて政務を行うことを確認した。それから太閤の密葬の日程などの細かい打ち合わせが行われ、密葬は明日執り行われることとなった。会議は終わり、三成は利家と共にその場に残った。二人とも疲れ果てていたために口数は少なかった。三成は懸念していた家康に政務を託すという遺言について利家の意見を尋ねた。利家はそのような風聞に惑わされず、今は誰がどう動くか見極めるのが大事と語った。三成はこの風聞の出所を探ろうと考えていたが、利家の意見を聞き、静観することに決めた。今はただ密葬が無事に済むことに専念しようと思ったのであった。