苦しんでいる太閤を一同はただ、見守る他なかった。太閤の荒々しい息遣いだけが部屋に響いていた。しばらくして部屋は全く静かになった。一同が気付き、太閤に声をかけたが返答はない。医師団は脈をとり、ご最期ですと一言。太閤秀吉享年62才の生涯であった。三成は太閤の死の余韻に浸ることなく長政に促され、一緒に他の五奉行が詰めている部屋に移動し、五奉行全員による会議が始まった。長政から太閤が亡くなったと伝えられ、今後の対策の議論が始まった。長政は太閤の喪をしばらく伏せるべきと主張して会議の主導権を握っていた。しかし、三成は太閤が喪を伏すことに反対していたために、すぐに喪を発表すべきと主張した。三成の意見を支持したのは長束正家一人であった。三成とてしばらく喪を伏して静観するのがよいと考えていたが、太閤の意思を尊重することが大事だと考え、長政を説得し続けたが平行線のままに終わった。ただ、秀頼の後見人である利家には太閤の死を伝えて相談すべきと一致し、この件は利家を含めて改めて議論することになった。続いて太閤の遺言の件に話が及んだ。家康に政務を託すという遺言が一人歩きするのを警戒すべきと一致し、太閤の遺言を五奉行がまとめて文書化して公にすることを取り決めた。議論は長引き、すっかり夜が明けていた。会議は一時中断して利家が来るのを待つことになった。三成は再び太閤の寝所に向かった。そこには北政所以外誰もいなかった。北政所は三成に気付き、話かける。三成 殿下は何か仰せではなかったかと北政所。三成が言う、何もありませんと。それから沈黙が続いた。朝日が強く部屋に差し込み始めていた時、長政が利家の供をしてやって来た。利家は北政所に挨拶して太閤の遺骸の側に近づいた。太閤にしばらく手を合わせ、それから北政所に話を始めた。北政所は利家とは家族ぐるみの付き合いで気心が知れた仲であり、利家の弔問を歓迎し、心強く思っていた。利家が来たことを知ると、他の五奉行たちも弔問に訪れた。そして場所を移して、利家を含めて会議を再開した。利家は三成の意見に賛同して太閤の喪を伏すことに反対した。そして家康もすぐに呼び出して太閤の死を伝えるべきと付け加えた。利家の意見により喪をすぐに発表することに決した。そして五大老、三中老をすぐに呼び出すことになった。
会議は早くに終わり、利家は退席して北政所のとこに出向いて行った。