しばらくの間アルスと適当なことを話していたルゼルは、後ろから現れたトファダに耳打ちされた。
それにピクリと反応する。

ルゼルの変化を見て取ったアルスは怪訝そうな顔をした。

「どうした?」

「……いや、何でもない。すまないけど席を外す」

「あっ……おい!」

呼ぶアルスを無視して、ルゼルはトファダと共にホールを出た。


「……あいつが席を離れたのはいつだ?」

「少し前ですよ。こっそりと出て行ったのを見たので、もしかしたらと思いました」

「やっぱり手ぇ出すんだ…」


ぼそりと呟くルゼルの目には剣呑な光が宿っている。
ただならぬ雰囲気にトファダすら顔をしかめる。

「もしかしたらです。殺さないで下さい」

「本気で出してたら、そのときは殺すよ」

王子の目は本気。その碧いガラス玉の中に燃えるのは恐ろしいまでの憤怒の炎。普段冷静に物事を秤にかけ、要らないものは要らないと切り捨てる冷徹な仮面を持つ彼を普通の人間にしてしまうのは、きっと彼女だけ。

トファダはルゼルが人間でないことを知っている。
元々人間味のない彼を人の世界で支えてきたのが、母とトファダだったのだから。父親の策略にはめられ、我が子を死なせてしまいそうになったルゼルの母は、ルゼルが帰ってきてからというもの逐一我が子の安全をトファダに報告させた。それほどまでに溺愛している。

彼の母親はここからそんなに離れていない国の出だ。世間知らずの彼女は何も知らず嫁ぎ、誰も知らない場所で暮らしていくことに心身を病み、一時国へと戻った。そのときトファダは彼女の護衛として傍についていた父親と一緒にこの国へと来、そして生まれたルゼルの護衛官に就くようになったのだ。

兄弟のいなかったトファダにとってルゼルは弟のような存在だったのに、一回は権力と人の我が儘でなくしそうになった。だから今はなくす前以上に大事にしていた。

この子は大事な人。そしてそのルゼルの大事な人は、決して結ばれてはいけない運命を持つ女性(ひと)。
きっと世界の歪みが彼を、本来あるべき道とは違う道へと誘い込んでしまったのだろうと思う。

でも彼が幸せそうだから、トファダは満足している。
トファダの願いはルゼルが幸せに生きることだから。