そのときも、取材にきた記者はフリーのノンフィクションライターだといった。

そしてとても熱心だった。

霊云々の連中みたいに、なんかあ、おどろおどろしい絵、ないねえ、のどかな自然だけって感じだねえ、これじゃ、駄目、駄目、ほら、なんか出るって有名なトンネル、層雲峡あたりにあったでしょう、あっちいこうや、こりゃ駄目だわ、とさっさといなくなる連中とは違った。

一ヶ月も滞在して、年寄りの話をきき、人々の生活をつぶさに観察した。

やがて、聖地とか神と会話する人々とか言い出して、さんざんだった。

市の土地計画の話も入ってきて、みんな、一度は川の中にすべて沈める話にまでなったんだ。

それでもなんとか、すべてがおさまった後だった。

母さんの親友の娘がオプニカで腕をなくして、結局失踪した。

そして、母さんもいなくなった。



鍋のお湯が沸騰してきた。

俺は小さな花をいくつかちぎって鍋にいれる。

蓋押し、火をできるだけ小さくして煮出す。

3分ほどで茶色い液がゆっくりとお湯に混じりこんでいくはずだ。

こういうやり方、民族のやり方。

でも、他の連中だってむかしはこうやっていたんだ。

便利とか、金、とかいう方便で捨てていっただけだ。

今更、捨てたものを、思いだすこともないだろうに。

新しいものだけでやっていけばいいだろう。