俺はアイの細い鼻かしらを撫でながら、いっぱいなのか、とぶやく。

「‘ここらへん’のと、そうでないところのとでいっぱいなんじゃ。それだけじゃ」

正婆はそこまでいうと、俺にくるっと背をむけた。

後ろの巨大な壁掛けをみあげて、ふんふん、とうなずきはじめる。

「送らんとんらんじゃろうなあ、遅かれ早かれ。その兆しじゃて」

俺は、立ち上がった。

アイがこっくりこっくり船をこぎだしたからだ。

正婆だって、つきあってくれてはいるけれど、ずいぶんと眠いに違いない。

そして俺だって。

「くまっこのやつは送ってやったほうがいいな」

玄関口で正婆は、スニーカーをつっかっける俺の背後からふいにいった。

「おまえのメコンのくまは怨が強い。メコンには重過ぎる。イワクラしてやれ。オプニカの連中でええから」

それって、舞の? と口をひらきかけたところで、扉はがっちゃんとしまった。

中なら、そのうちメコンノイのとっておきの細工教えてやるから、今日みたいにうめえもんもってこいや、と眠そうな正婆の声が聞こえてはきたけれど。

外は真っ暗だ。

いや、半月が出ている。

俺は懐中電灯をもったままで自転車にまたがる。

後ろは絶対に見ない。

チャシを過ぎるときは息もとめる。

ただ一心に自転車の前輪のいく一点だけをみつめ、籠の中でばこばこゆれタッパーに注意しながら、俺は暗闇の穴のなか、家に向かって急いだ。