ふいに、出窓に置いた蜜蝋が、かたりと音をたてて消えた。

テーブルサイドのフロアランプのオレンジの光があるけれど、八畳の居間のなかは突然ぐっと暗くなる。

オプニカの前の晩だから、なにか出てくることもある。出てこないこともある。

俺はもう口を閉じてしまった。

ただ一心に削る。

万が一、なにかがあったときに、舞を守ることのできるイナウを。

万が一なんて、ほんとうに万に一つにしか起こりっこないわけだけど、万に一つは起こりうるわけだし。

「明日がその万に一つではありませんように」

 いったとたん、手がすべってそこそこ綺麗に削りあがっていた髭が、ぽっとりと切れて落ちた。

 蜜蝋の匂いが、待っていたかのように居間いっぱいにひろがっていく。

「現代都市。現代地方都市」

 俺はまた、唱えはじめる。

 14型のテレビの上の時計の針は、9時半をさしている。

 そのとき、フロアライトの明かりが大きくゆれた。
 診療室のほうから、叫びのような高い、長く引っ張る声が、きこえてきたようなきがした。

「明日の朝にしよ」

 俺はそそくさと立ち上がって、削りかけのイナウを台のよこにぽとりとおいた。上に柳の枝をかける。出窓から蜜蝋ののっていた燭台をもってきて、その傍らに倒す。そして、居間の左奥にある自分の部屋に、小刀を片手に小走りで急いだ。

部屋のドアを閉めるとき、また診療室から、高く伸びる声が聞こえてきたような気がした。