「おい歳哉!ぼーっと突っ立ってんなよ!」


 いきなり道場に響く大声の主は紛れもなく恵本助之丞(えもと すけのじょう)。

 背はさほど高くないのに道場随一の体力を持つ、超人並の19歳。



 その後ろから追って声が聞こえた。


「助之丞!あんたも突っ立ってんじゃないわよ!」


 案の定、紅一点の山岡八重(やまおか やえ)だった。

 この人は女だからといってあなどってはならない要注意人物だ。

 普通は腕力に差が出るであろう思春期を越えてもなお男達と渡り合う恐ろしい女なのだから。


(ん…なんか今にらまれた気がするのだが………気のせいだよね…アハハ)



「おぉ八重か。どうだ、朝稽古に立ちあってくれよ。相手がいねぇんだ。」


 助之丞は歳哉の存在を忘れたかのように…いや、意図的に忘れて八重に向き直る。


「ちょっと助之丞さん!」

なんて歳哉の叫びは届かずに…


「望むところだ!」

八重は受けて立つのであった。


 助之丞と八重は、自前の木刀を握り、向き合った。


「手加減なしだぜ?」

 助之丞が発破をかけるが、八重は涼しげな顔で答えた。


「手ぇ抜いたらケガすんのはそっちなんだからね!」



 まぁこんな会話は挨拶代わりでいつも行われている。歳哉は毎朝この2人の稽古を指をくわえて見ているしかないのだ。



 しかし今日は道場の空気がなんか違う。



(はっ………!鬼谷先生が凝視しているぅぅ!)



 そう。なぜか道場の入口には師範の鬼谷先生が仁王立ちしていたのだった。


 鬼谷先生のオーラは尋常ではない。死線を越えて来たというか、なんか他の大人達よりも飛び抜けた力を持っているのだ。


 しかしさすがは真剣勝負中の助之丞たち。尋常ではないオーラでさえも無視するほどの2人の世界に入って打ち合っている。


(ん…先生震えてないか!?)


 歳哉がそんなことを思っていた次の瞬間…



「くぉぉらぁ!貴様ら俺の存在に気付かぬかぁ!」


 なぜか鬼谷先生はご立腹であった。どうやら存在を無視されたことが気に食わなかったらしい。なんだかかわいい所もある先生だ。

 そんな鬼谷先生の地響きでも起こしそうな声さえも無視して、なお打ち合う助之丞と八重。


「ちょっと!助之丞さん!八重さん!先生が…」

 歳哉はとりあえず2人に叫んでみた。すると、最後の方は、勝負中の2人の声にかき消され…


「うるっせぇな!勝負中だ!」


 2人はハモりながら歳哉に叫び、再び構えた。



「八重…そろそろ疲れてきたんじゃねぇの?」

「冗談じゃないわよ!アンタなんかに負けるもんですか!」


 ますますヒートアップし、まずは助之丞が突きをかまそうとした。

 が、八重は半身になっていとも簡単にかわす。

 そして助之丞の木刀を払い、上段から振り下ろした。

 助之丞は体勢をくずし、もう一太刀きたらやられてしまうという所まで追い詰められてしまった。

 と、その時………


「やめんかガキ共がぁぁ!!!」


 鬼谷先生が勝負をやめさせようと、飛び込んで来た。



―――ガツンッ

ドサァッ………



「せ、先生!」

 歳哉が駆け寄る。それを見た2人は、


「おい歳哉。邪魔すんなって!」

「そうよ!折角良いとこだったのに!」


 この2人、未だに気付いていなかった………
「いやいや2人とも良く見ろよ!先生だよ!鬼・谷・先・生!」



 そうして漸く2人は事の重大さに気付いた。


「せっ先生!どうされたのです!」



(お前らが同時に太刀をあびせたんじゃないか…)


 もはや鬼谷先生は心の中でしか叫べなかった。




「とにかく助之丞さんと八重さんが止まらないからだよ…」


 歳哉はとりあえず成り行きを話した。ここまで集中して勝負していた2人は“本気すぎて周りが見えない”のか“ただのバカ”なのか歳哉にはさっぱり見当が付かなかったが。


 歳哉が一通り話し終えると、先生が息を吹き返した。


「そういうわけじゃたわけ共めがっ!」

 腹の底から怒鳴る先生。だが…



「歳哉ーそういうことは早めに言えよ?」

 助之丞が言う。


更に八重も、何事もなかったかのように振る舞う。



(なんで歳哉の声は届いて、わしの声は届かないんじゃろうか…無念………)



尋常ではないオーラも、朝の彼らには全く通用しない事を嘆き、先生は再び倒れる事にしたのだった………


 そこへドタドタと足音が近付いて来た。


「おーい何事だぁ?」


若者の中では年長ともいえる頼れる兄貴分の藤井勇大が、田中総祐を伴ってやってきた。


 そう、助之丞たちが立ちあっている間に、夜はすっかり明けきり、早朝から朝になっていたからみんなも道場にやってきたのだ。


「おぉ!助之丞!また八重にやられたのか?」

「やられてねぇよ!」


 いつものように勇大が助之丞をからかった。しかし、今日はそんなことをしている場合ではない。



「ガキ共がぁぁ!ゆるすわぁぁん!」


 問題の起った発端である鬼谷先生がここぞとばかりに立ち上がった。


―――ズカァァン


パタリ


(なぜだ…なぜ歳哉まで………)


 鬼谷先生が立ち上がったと同時に、タイミング良く歳哉が立ちはだかったのであった…


「実は助之丞さんたちが稽古してるのを止めようとした先生が!」


 すると、


「おい、バカ言うな歳哉。今お前が倒したろ。」


 勇大があきれ顔で答える。


(えぇぇーーーっ!?)


 歳哉はできる限りに目を見開いて、背中からどさぁっと倒れこんだ。



 これはチャンスとみた助之丞は、動揺しながらも胸を張って言う。


「あっはっはっ!そ…そそそうなんだよ!歳哉がやったんだ!」


 そんな助之丞を一瞥した八重は、対照的な態度で言い放つ。


「まったく歳哉はそそっかしいんだからぁ!」





(まじかよ…いくらなんでも口ごたえできない年下になすりつけんなよ…!)


 歳哉は倒れたまま呆然としていた。横をみてみると、ちょうど隣りに鬼谷先生が横たわっている。


「おい、歳哉!」


 ささやくような声で先生が耳打ちしてきた。

「なんですかー俺まで巻き込まれたんですよー」


 もはや歳哉も投げやりである。


「なぁ…なんでみんな俺の声には反応しないのにお前にばかりつっ掛かるんだ?」




(………えー!?先生が気にしてたのってそんなことだったのーーー!??)


 歳哉は拍子抜けして、思わず心の声をもらしそうになり、あせった。だが、平静を装い、小声で返事をする。


「いやぁ…集中してるのでは?」



「そうか………ではきっと助之丞は八重の美しい胸をみてるんだろうなぁ!いいなぁー♪その瞬間にやられてるに違いないよなー!」


 もはや先生は変態だ。八重に聞こえないだけ運がよい。あきれることさえもバカバカしく思えてくるってもんだ。




「こっこのエロおやじ!!!」


 歳哉は思わず心にしまおうと思っていた気持ちを吐き出してしまった。



「こら歳哉!」


 先生になだめられたが時すでに遅し。


「なに叫んでんのよ…」


 話題の渦中にいる八重ににらまれるのであった。
「えっ…そ、そのぉ………」


 歳哉は事の真相を言う訳にもいかず、もじもじした。



「はぁ~だぁれがエロおやじだよ…先生にむかってよくもまぁ堂々と…」


 勇大はすでにあきれ顔だ。

 それを見て、何だか急に恥ずかしくなって来た歳哉は、顔がほてりだし、一直線に道場の入口まで走って外に出た。



「おい!」


 鬼谷先生が呼び止める。

 しかし、歳哉は振り向くはずもなく…それをよいことに兄弟子達は大声で茶化し始めた。


「なぁ、あいつ、勇大を見て顔がほてってやがったぜ!」


「まさかそっちの気があるんじゃなかろうな!…って俺はごめんだぞ!」


「まぁまぁそう言わずにさっ♪

んーでも、そっちの気ってことは…八重もその対象として数えて良いんだよな?」



 助之丞のからかいを勇大が増幅させて楽しそうに話していたそのとき………



―――ガスッ



 八重の木刀は閃光を放ち、ドサドサと人が倒れる音が後に残った…。



「だぁれが男よ!ねぇ、総祐?」


 一人生き残っている総祐は、いきなり話を振られてビクッとしたが、そこは12歳という少年の愛らしさを発揮するのである。


「八重お姉ちゃんはすっごぉく美人なのにねぇ!僕は大好きだよ!」



 総祐よ…。なんて変わり身の速さなんだ。恐るべし12歳。

 こんな分かりやすいお世辞を言って許されるのは少年だからだろう。



 八重は、お世辞と分かってはいるものの、


「まぁっ総祐ったらぁ!」


と、頬を紅く染めた。


 珍しく愛らしい声を発した八重は、どうやら、まんざらでもなかった様で、女の顔になっていたのだった…。

「あ゛ー」


 ゾンビのような声が響く。

 そう、先程、八重の前に散っていった勇大と助之丞だった。


「おーいてぇー」



 2人はうめき声をあげながら立ち上がった。

 なんたる生命力なんだこの2人…。



「なぁんだ。生きてたの?」


 八重は残念そうに言い放った。―――鬼か。




「それにしてもよぉ、歳哉のヤツ、無実なのは分かっててからかったのになぁ…」


 勇大がのんびりとした声を発した。


 そこで助之丞の顔が引きつったのは言うまでもない。


「えっ…分かってたの?勇大………」

「ったりめぇだバカ!お前と八重が稽古したら絶対に被害者が出るんだからな!」


 勇大のその言葉を受け、八重は勝ち誇って言った。


「あぁら助之丞…そんなことも分かんなかったなんてねぇ」


(八重よ、少しはお前も反省したらどうだ…)


 その場にいた人がみんな思ったに違いない。


 それから勇大、助之丞、八重の3人は口論を始め、ついには木刀を構えて、勝負だとかなんとか叫び始めた。


 その隙に、ずっと歳哉のことを思案していた総祐は、こっそりと道場を後にした。



(俺の存在って何なの………)


―――鬼谷先生は未だに床に寝転んでおり、3人の闘争に巻き込まれて死にかけていた…。