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日が、長くなったなと今年になって初めて感じた。薄暗く青みを帯びた夕焼けがどこか遠い。
気温はまだ生温かいのに、風は湿っている。
明日は雨かもしれないと、そんな風などうでもいい事を考えながら、壱弥は芽衣の手を引いて家の玄関扉の鍵穴に銀色の鍵を差し込んだ。
十五階建てマンション各フロアに4LDKが二世帯ずつ。
その最上階ワンフロアを買い取ったのが約十二年前。
一つは瀬川紗江子に、もうひとつは華原芽衣に。
買ったのは華原寿一。芽衣の実の祖父だった。
芽衣と壱弥が五歳の時、紗江子とその夫の真紘は彼の願いを聞き入れて芽衣を預かることを決めた。
召抱えの家政婦だった紗江子の母親の代から随分と世話を焼いてくれた一寿が、娘のように可愛がってきた紗江子に頭を下げて芽衣を預かって育てて欲しいと申し出たのだ。
紗江子に断れるはずがなかった。断る理由も、ありはしなかった。
月に五十万、紗江子の口座に振り込まれる。今まで十二年間一日も、それは遅れた事がない。
金だけでは人は幸せになれないと、頭の悪そうなドラマやなんかでは昔からよく聞くが、なら他にどうしろと言うんだと、自分が一寿の立場なら壱弥は怒鳴り倒したくなるとだろうと時々考える。
彼は厳格で、だがしかし本当に優しい人間味の溢れる老人なのだ。
壱弥は知っている。
彼が実孫の芽衣と過ごした時間より、紗江子の息子である壱弥と過ごした時間の方が長いという事を。
だから余計に、早くに両親を亡くした紗江子を高校、大学と進学させてやり、真紘との結婚を誰より喜んだのも一寿で、自分にとってはまさに彼こそが祖父だと言っても過言では無いと思うのだろう。
その一寿が、五歳の壱弥の手を握って頭を深く下げて言った。