文句を言うだけなら誰でもできるので、やはり砂壁を崩さないように立ち上がった。

 襖の外は既に女中さんたちが慌ただしく朝食の準備をしているのが伺える。流石に今出ていくと邪魔になりかねないと思ったが、せっせと汗水流して働く彼女を見てみたいとも思った。彼女というのは、ここ『雨唄』で働く女中の一人で、僕たちの身辺の世話をしてくれている。名前は柏木 伯楽だ。緋色の着物が漆黒の髪の色に似合っていて、何となく惹かれていた。

 そんな事を考えている内に襖の前に誰かが来た。そして澄んだ声が聞こえてきた。
「失礼します。左右田様、朝食はいつ頃になさいましょう。」
 静かに襖を引き、真っ黒な艶やかな髪の毛の女性、伯楽さんが伏せ目がちに尋ねてきた。
「あー、後は僕たちだけですか?すみません、唯朝が弱くて…」
 蒲団の塊に目をやり、軽く肩を竦めてみた。寒いのが苦手と言えば、遠回しに文句を言ってる感じに取られかねなからだし、唯が朝弱いのは事実だった。。
「そうでしたか、失礼しました。まだお越しになってないのは、お二人と三神様ですね。」
 謙虚な態度を崩さない伯楽さんは、蒲団の塊を見て微笑んだ。可愛い。嫁に来てほしかった。婿にでも行こうか。
「では、お待ちしています。お嬢様も七時半には向かわれますので、それを目安にお越し下さい。」
 伯楽さんは失礼します、と残して部屋を出て行った。

「さて、と。そろそろ準備させないとな。」
 そう言って蒲団の塊に挑む。見下ろすと塊は微かに震え、何か言い出した。
「…ブシュンっ!」
「おはよう、唯君。」
 彼女は、蒲団の塊は起き上がり、起きてすぐに開け放った窓を指差す。
「ああ、さっき窓開けたな。」
 大きな口を広げ、僕に何かを訴える。何か、というのは間違いか。読唇術はお手のものだった。
「大好き?そりゃありがたい。僕もだよ、唯君。」
 唯は顔を赤くして違うことを言い出す。口パクだが。
「…おいおい、プロポーズはもうちょっと場所を選んでくれよ。」
 からかうと彼女は二度寝という暴挙にでた。
 本当は最初に『何すんのさー!!!』で、次に『そんなこと言ってないでしょっ!!!』だった。言う、という表現を使う度に、僕の胸は微かに締め付けられる。
「…そろそろ読心術でも身につけたいなぁ。」
 まぁ、嘘なのだが。