ケータイ恋愛小説家

き……キス。


その単語に、やっと忘れかけていた昨日の記憶がまた甦る。


ボンッ。

また耳まで真っ赤に染まる。


蓮君のあの悩ましい表情がまたあたしの脳裏に浮かぶ。

あたしはそれを懸命に消そうとするんだけど……

だめだぁああああ。


もう、どうしちゃったんだよ、あたし。


蓮君の甘い香り、抱きしめられた感触、全てがあたしの記憶に刻み込まれている。

そしてもちろん、あのキレイな形の唇も……。


あのままキス……


してみたかったな……。



え?


今、あたし何考えた?


キスしたかったって?


んなわけない!

違う違う!

ははは。

だって、あたしの王子様は大輔君なんだもん!


でもどうしてだろう?


大輔君にキスされそうになった時は、拒んだくせに。


蓮君とのキスは……嫌じゃなかった。


むしろ……あのまま……


「ち、違う! そんなの間違ってる!」


あたしは手に持っていたフォークをギュと握って叫んだ。




「何が間違ってるって?」



「は……」



見上げるとすぐそこに腕を組みあたしを見下ろす田中先生。

片方の眉を上げ、気のせいか顔がぴくぴくとひきつっているような。


え?

えええええ?

まさか!

いつの間に、授業始まってたの……?


前の席には、「あちゃぁぁああ」って感じで頭を抱え込む綾乃。


「小菅ぁああああ! お前オレの授業で、教科書も出さずに弁当食ってるとは良い度胸だなぁあああああ」



あううううううううう!



なんか、あたし……


数学の田中先生とはどうにも相性が悪いようです。


しゅん……。




放課後、帰宅したあたしはいつものようにパソコンを立ち上げ、掲示板をチェックする。


そしてある書き込みが目に留まった。



-------------

投稿者:アジサイ

この間は失礼な発言してごめんなさい。
今回のキスシーン、すごくドキドキしちゃいました。

-------------



えっ……。


うそ……。


「や……やった―――!」


あたしはイスの背もたれに置いてあったクッションを放り投げてキャッチすると、それをギュっと抱きしめた。


アジサイさんが褒めてくれた!

これって、すごいことだよね!

あたしの書くキスシーンがちゃんと伝わったって証拠だよね?


どこかで聞きかじったような内容でなく、あたしの言葉で、ちゃんと表現できたからだよね。


その日、あたしはうれしくて、アジサイさんからの書き込みを何度も何度も読み返した。
ん―――……。


さっきからあたしは、クローゼットに掛けられた洋服とにらめっこ中。


な…何着てこ。


実は今日、

デートなんです。


あ。

今ちょっとウソつきました。


デートといっても、もちろん本物のデートじゃなくて、あくまでも“模擬デート”なのだ。


恋愛小説を書いてるくせに、デートなんて一度も経験のないあたし。

蓮君にお願いして、今日はデートを体験させてもらうことになった。

それで今、着ていく服を迷ってるってわけ。


わたしが今書いている小説は、ヒロインが大学生なんだよね。

どうせならヒロインになりきって、おしゃれな格好で出かけたいじゃない?

なのにあたしのクローゼットの中と言えば、子供っぽいものばかり。


先週の日曜、蓮君と会っていた時も感じてた。

大人っぽい蓮君のとなりに並んだ、いかにもガキっぽいあたし。

どう見ても不釣合いだった。


はぁ……。


あたしは深いため息とともに、クローゼットを閉めた。


どうしよ。
そうだ!

あたしは足取りも軽く隣の部屋へ行く。


コンコンッ

ドアをノック。


「美雨ちゃ――ん!」


あれ?

反応なし?

いないのかなぁ……。

あたしはそっとドアを開けた。

美雨ちゃんは出かけているのか、部屋には誰もいなかった。


「おじゃましまーす」


なんて言いながら部屋に入って、美雨ちゃんのクローゼットを勝手に開けてみる。

さすが美雨ちゃん。

小説のヒロインのイメージにぴったりの大人っぽい洋服がいっぱい並んでいる。


「きゃー。どれにしよっかなぁ」


ハンガーに掛けられて、ずらりと並んだ洋服を確認していく。

そしてその中の一着を取り出した。


「きゃー! ジルスチュアートのワンピだああああ!」


うわー。

いいなぁ。

美雨ちゃん、こんなの持ってんだぁ。

あたしは誰もいない部屋でキョロキョロと周囲を見渡す。

そして……

「お借りしまーす」

小声でそう呟くと、ジルスチュアートのワンピースを抱えて自分の部屋に戻った。
ベージュの膝上10センチぐらいのミニのワンピース。

裾はほんのりフレアになって広がっていてガーリーな印象なんだけど、レースで縁取られたスクエアの襟元はかなり大きく開いていて、ちょいセクシー。

こんな大人っぽいワンピースを着るのは初めてで、ちょっとドキドキしちゃう。

鏡の前でくるりと回ってみる。

蓮君、どう思うかなぁ……。

ちょっとぐらい、可愛いって思ってくれるかなぁ……。


って、何考えてるんだよ!あたし!

べべべべつに、蓮君のために服を選んだわけじゃないんだからね!



気がつくと、約束の時間に遅れそうになってた。

きゃー、急がなきゃ。


そのままだと、胸元が開きすぎてて気になるし、今日はもう6月に入ったというのに、梅雨が近いせいか肌寒い。

あたしはワンピースの上から五分袖のシンプルな黒のボレロカーディガンを羽織った。


そしてバッグを手に持ち階段を駆け下りる。


ところが、玄関でまた足が止まった。


ど…どうしよ。

この服に合う靴もないよ……。


えーい!

あたしは靴箱の中から、美雨ちゃんのパンプスを取り出した。

8センチはヒールのありそうな、黒いパンプス。

履いてみると……。

うっ。

足が痛い。

あたしだって、少しぐらいヒールのあるミュールなんかはたまに履くけど……。

こんなにヒールが高いのは初めて。

あーあ。

こんなことなら、練習しとけばよかったなぁ。

あたしはおぼつかない足取りで、外に飛び出した。
――ピンポーン


あたしは蓮君の部屋のチャイムを鳴らす。

だけどいつまで経っても蓮君は出てこない。

約束の時間は午後1時。


いくらなんでもこんな時間まで眠ってるってことないよねぇ。

まさか忘れてて、どこかへ出かけちゃったのかなぁ。


何度かチャイムを鳴らし、もういい加減諦めて携帯から電話してみようと思ったその時。



「ふあああい」

なんて声がして、ゆっくりとドアが開いた。

蓮君が今まで眠っていたのだということは容易に想像できた。

いつもよりトーンが低くハスキーな声。

髪はボサボサで目をこすりながら蓮君は顔を覗かせた。

だけどあたしと目が合うなり、その表情が変わった。


「あれ? 日向? うわっ。やべ……寝過ごした」


一方のあたしはと言えば、さっきから一言も言葉が出せずに、ただ硬直していた。


だって……。

だって……。


蓮君、上半身裸なんだもん。
「すぐ用意すっから、中、入って待ってて」


そう促されたあたしは、おずおずとドアの中に入って、玄関で待たせてもらうことにした。

蓮君はドタバタと慌てて用意しだした。

服を出して床に投げ出し、そして自分のスウェットを脱ごうとしてズボンに手を掛ける。

あたしは思わず慌てて蓮君から背を向けた。


きゃああああ。

生着替えっすかああああ。


だめだ……。

またドキドキしてる。

だって、蓮君の体……。

すごくキレイだったんだもん。

男の人の体を見て、キレイって表現はおかしいかもしれないけど、ほんとにそう思った。

蓮君は子供の頃から水泳をやっていたからか、すごくバランスのとれた体型をしている。

細く見えるのに、実際にはほどよく筋肉がついていて、肩幅も広い。


ん?


ちょっと待てよ?

これって、男の人の裸を見る絶好のチャンスなんじゃないの?

これだって、小説の役に立つよね。


そうよ!

これは取材!

取材なの!

別にあたしにヘンな下心があるわけじゃないんだから。


なんて誰に言い訳してるでもなく、あたしはそーっと振り返った。
だけど……

「おまたせ」

目の前には、すっかり洋服を着替え髪型もバッチリ整えた蓮君がいた。


あ……。

見損ねた。

ちょっと残念……。


って。


うあああああ!

何考えてんだ!あたしってやつは!

これじゃぁ、たんなるエロ女だよ!

バカバカバカ!



「ほれ。いくぞ」


蓮君に促されてあたしは外へと連れ出された。