ケータイ恋愛小説家

「わかってる。自分でもバカだなって思ってるよぉ……」


あたしはつつかれたおでこを触りながら涙目で蓮君の方を見る。


「ホラッ。鼻かめ!」


そう言って、蓮君はテイッシュを一枚取ると、あたしの鼻にあてた。


チーン!


「プッ……お前、全然変ってねーな」


あたしは蓮君にあてられたティッシュで鼻をかみ、その姿を見た彼は吹き出した。

あたしも泣き顔のまま一緒に笑った。

だって、蓮君のその笑顔はあたしが知ってる2年前の彼のまんまだったから。





「そもそも男のことよく知らないのに、恋愛小説なんか書くのが間違ってんだよ。大輔のことだってさ……。男の部屋に入るってどういう意味かってこと、お前全然わかってねーだろ?」


蓮君の意見はもっともだった。

だけど……


「あ……あたしだって、男の子のこと少しはわかってるよ?」


友達からの情報もあるし、何よりあたしの愛読書である少女漫画から得た知識もたくさんある。

ぶっちゃけ……ちょっとHな漫画だって読んだりしてるんだもん。



「ほんとかねー……?」


そう言うと蓮君は座ったままズイッとあたしの方へ体を近づけた。


そして……


「きゃ……」


いきなりあたしの右手首を掴む。


「振りほどいてみ?」


すぐ側で低い声がする。

その声に揺さぶられた心臓がドクンッと音を立てた。



蓮君は挑戦的な目であたしをじっと見てる。

あたしはその目を直視することができず、ただ下を向いて自分の腕を回したりひっぱったりしようと試みるものの、全く動かすことすら叶わない。

一方、蓮君の方はどう見てもそれほど力を込めている感じではないのに……。

二人の腕の違いに驚かされる。

蓮君の腕はとても細く見えるのに、比べてみるとあたしなんかよりずっと太い。

筋肉のラインがはっきりとわかる腕には血管が浮き出ている。

こんな場所でも男と女では全く違うんだ……。


あたしはなんとか腕をふりほどこうと、空いている左手を蓮君の腕に掛けようと思い、手を伸ばした。

だけど、逆にその左腕まで逆手に取られてしまった。

両手の自由を奪われたあたしは成す術がない。

そのまま蓮君に体重を掛けられ、背後にあったベッドの側面に完全にもたれかかるような形になってしまった。



「ほら? 抵抗してみって?」


蓮君は片方の口角を上げて、さっきよりさらに挑発的な目で見つめる。


な……

なんで……?
蓮君、見た目が変わってキャラまで変ってない?


今目の前にいる蓮君はあたしが子供の頃から知っている彼ではないような気がした。



「フッ……」


蓮君はあたしの手首を掴んだまま息を漏らした。

そして、にんまり笑ってこう言った。



「オレが教えてやろーか?」


「えっ……」




そこでようやくあたしの手首と体は開放された。


「お前の言う、リアルな男心やその他もろもろ……。オレが教えてやってもいいよ?」


「ほ……ほんと?」


あたしは改めて姿勢を正して蓮君の方を向く。

事情を全てわかった上で引き受けてくれるなら、これにこしたことはない。

今きっとあたし、すごくホッとした顔してると思う。


「ただし……条件がある」


「へ? 条件?」


「うん」


蓮君は、一瞬いたずらっぽい表情をしたかと思ったら、小首を傾げてにっこり微笑んで言った。






「美雨ちゃんのアドレス……教えて?」




「これ……あたしの小説……です」


あたしは神妙な面持ちで、蓮君に携帯を差し出す。


「んー」


連君はあたしから携帯を受け取ると、時々親指を動かしながら画面をじっと見つめている。



例のコンパから二日後の日曜日の昼下がり。

あたしは今、蓮君と一緒に駅前のカフェにいる。


あたしの小説のために、男性の心理や行動について教えてくれることになった蓮君。

まずはどんな小説を書いているか知りたいと言うので、とりあえず読んでもらうことにした。


あたしは緊張しながら蓮君の様子をじっと眺めている。

読み始めてから時間が経つにつれ、蓮君の表情は険しくなっていく。

眉間に皺が寄る。

気のせいかその皺がどんどん深くなっているような……。


そして……。


「……アホらしっ」


そう言うと携帯をテーブルに置いてそのままあたしの方へシュッと滑らせた。


あわあわあわっ


なんてことを!

あたしは勢い余ってテーブルから落ちそうになった携帯を慌ててキャッチした。


「ありえねー」


そうつぶやいて軽く頭を振ると、蓮君は目の前のアイスコーヒーを飲み始めた。


「なっ……」
蓮君の態度に怒りとか恥ずかしさとか色んな思いがこみ上げて耳まで真っ赤になるあたし。


「なんでよ? だいたいちゃんと読んだの? 30分ぐらいしか見てないじゃん!」


そうだよ。

さわりだけ読んで何がわかるのよ!

あたしの小説は長編ばかり。

最後まで読みきろうと思ったら、かなり時間がかかるはず。


「全部読まなくても最初と最後と目次だけ見て……あと適当にかいつまんで読めばだいたいわかるよ」


蓮君はストローを口に咥えたまま、上目遣いでそう言う。


「超イケメンのモテモテ男と? 超可愛いモテモテの女の子が出会って? 恋するって? そんな選ばれし者の恋愛のどこがおもしれーの?」


「そっ……! そんな単純じゃないもん! 途中でライバルが登場したり……するし……」


「んなの、想定内でしょ? 何があっても、コイツらとりあえず上手く行くんだろうなってバレバレだっつの。だいたいライバルの女がわかりやすい意地悪しすぎ……。ここまで露骨なヤツ、普通いねーだろ」


うっ……。

でも、でも!

それはあたしの処女作なんだもん。

まだ未熟な点がいっぱいあったんだよ。


「ほ……他のも読んでよ!」



「読んだよ?」


「へ?」
「やたら意地悪な男に振り回されながらも、なぜかヤツに惚れる女の話しでしょ? あと、たいして可愛くもない子が、イケメン集団にモテまくりで、毎回きわどくせまられてる話……とか?」


確かにその通りなんだけど……。

なんかこうして言葉にされるとすごく陳腐に聞こえる。


「実際ありえねーだろ。意地悪っつても限度があるよ。この男は、男から見てもほんと最低なヤツだよ。こんなのに惚れるって、この女もおかしいんじゃねーの? なんで、ヒロインがヤツに惚れたのかが、全然こちらに伝わってこない。どう考えてもルックスだけだろって感じ」


「なっ……」


「だいたい、なんだよ? やたらと出てくる中途半端にエロいシーンは。全然リアルじゃねーし。あんなの、『あたし処女です』って言ってるようなもんだよ」


「なによー! そんな言い方ないじゃん!」


あたしはカッとなって、携帯を鞄にしまうと立ち上がった。


「も、いい。蓮君には頼まないから!」


蓮君はそんなあたしに目もくれず、平然とアイスコーヒーを飲んでいる。



「いーよ。別に辞めても。オレは美雨ちゃんのアドレス、ゲットできたし」



美雨ちゃん。

小菅美雨(コスガミウ)。

あたしのお姉ちゃん。

歳はあたしの4つ上で蓮君とは同級生。


一昨日、わたしは家に帰って、蓮君にアドレスを教えていいか美雨ちゃんに尋ねた。
(もちろん小説のことやコンパに行ったことなどは全てふせてある)

美雨ちゃんは二つ返事でOKしてくれた。



美雨ちゃんはあたしと違って、女としてのスペックはかなり高い。

誰が見ても美人だと言うであろう容姿。

子供の頃から評判の美少女で、何度も芸能界やモデルにスカウトされてる。

美雨ちゃんはあたしが通う高校の卒業生で、今は同じ敷地内にある大学の3年生。

うちの高校には、美雨ちゃんを一目見ようとする男子学生が集まって人垣ができたという逸話も残っている。

去年はミスキャンパスにも選ばれて、雑誌にも取り上げられたらしい。
それにしても…

蓮君が美雨ちゃんを好きだったなんて、全然気付かなかったな。

まぁ、あんな美人が近くにいたら、好きにならずにいられないか。



なんだろ……。

軽くショック……。



でもこういうことには慣れっこだ。

小さな頃からずっと比べられて育った。

誰からも愛されてちやほやされる美雨ちゃん。

一方、何の取り得もなく存在感の薄いあたし。

美雨ちゃんのことは好きだけど、同時にコンプレックスも感じていた。

美雨ちゃんと一緒にいると、誰もあたしを見てくれない。

引き立て役のあたしには、そこに自分の居場所がないような気がして苦しかった。



そんな時、ケータイ小説に出会ったの。

小説を書いて、読者がついて……更新を楽しみに待っていてくれる。

そんなことがあたしの支えになってた。

生まれて初めて誰かに必要とされてるようでうれしかったの。

あの場所だけは失いたくない……。


「で、どうする?」


立ち上がったまま動き出さないあたしに、蓮君が上目遣いで訊いてくる。

「お……教えてください」


そう言うと、あたしはまた元の席にストンと座りなおした。


そんなあたしの様子に

「いーね、素直で。それと……ここもお前のおごりね」

そう言って、蓮君はにっこり微笑んだ。


悪魔だ……。

高校生におごらせるか?フツー?

れ……蓮君が意地悪なんじゃん!

こういう人をドSって言うんじゃないのか?



「……で、さっきのありえない小説の話なんだけど……」


「い……いいじゃん」


言いかけた蓮君の厳しい批評をなんとか遮ろうとしたあたしは、声を振り絞った。


そしてそれは一気に爆発した。


「小説なんだもん! ありえなくてもいいじゃん! イケメンの出てこない恋愛小説なんて、それこそありえないじゃん!」


「ひ…ひなた……? 声がでかいって……」


あたしの反論に蓮君は驚いている。

思いがけず大きくなった声のせいで、隣の席の人まであたしを見ている。

だけどあふれ出た気持ちが止まらなかった。


「“S男”とか“甘エロ”がケータイ小説界では人気なんだもん! こういうのが読者にうけるんだもん! それに、一度エッチなこと書いちゃうと、読者はそれを期待して読んじゃうの! だから、いつもそろそろエッチなシーン書かなきゃなぁ……て、多少強引にでも無理やり入れる時だってあるんだよ!」


はぁはぁ……。

なんか胸の奥から何かがこみ上げて涙腺が緩んできた。

顔を見られたくなくて、あたしは俯いた。

しばらくの沈黙……そして……


「あり得なくてもいんじゃね?」
「え?」


蓮君のその言葉に顔を上げるあたし。


いつの間にか彼の表情は和らいで、拍子抜けするぐらい優しい眼差しであたしを見ている。


「小説や漫画なんて、夢を与えてなんぼでしょ? 読者がそれを望んでるなら、それに応えるのも作家の使命なんじゃね? オレが言いたいのはさ……」


「うん……」


「そのありえない設定に、いかにリアリティーを持たせるかだよ。 全然いけてない女の子がイケメンにモテる理由はなんなのか。意地悪な男に心惹かれる部分はどこなのか? お前の小説はさ……」


ゆったりとした口調で優しく話す蓮君の言葉に、あたしはいつの間にか聞き入っていた。


「そのあたりのキャラの魅力とか、微妙な心の動きが抜けてんだよ。それじゃ読者は納得できないしょ? だから、アジサイって人が言っているのは正論だとオレは思うよ。けどさ……」


―――ズズズ……


一息ついて、蓮君はグラスの底の氷の周りにほんの少し残ったアイスコーヒーをすすった。


「これだけ読者がついてるってことは、やっぱ面白いんでしょ? だったら、お前がそういう部分をちゃんと描ききれば、無敵になるんじゃね?」


そう言ってニッコリ微笑んでくれた。


「うん……」


あたしはまた俯いた。

目の奥が痛い。

さっきとはまた違う種類の涙が出てきそう。

蓮君の言葉は、あたしの胸に直球でぶつかってきた。

あたし、もっと頑張る……素直にそう思えた。

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