「オレのこと好きなんでしょ?」
妖しい光を湛えた、切れ長の目があたしを捉える。
顔を傾け、ほんの少し顎を突き出して……まるで挑発するような表情。
あたしはフルフルと小さく首を振りながら後ずさりする。
だけど、その体は背後の壁によってすぐに動きを止められてしまった。
彼はフッと息を漏らすと、何かを企てているかのような瞳をあたしに向けてそのまま近づいてくる。
逃げなきゃ……。
そう思った瞬間……
ダンッ
あたしの顔のすぐ脇に彼の腕が伸びてきたかと思ったら、そのまま両腕を壁について、あたしを囲んでしまった。
「素直になんなよ……」
彼のそのセリフの最後の方は、あたしに息がかかるほど近づいていた。
「やめ……」
言いかけたあたしの口を彼の唇が塞ぐ。
「……んんっ……!!」
いきなりの激しいキスにパニック寸前のあたし。
なんとか彼の体を遠ざけようと手を伸ばしてみたものの、逆にその腕を取られて壁に押し付けられてしまった。
もう完全に彼のペース。
その間も、彼の舌はあたしの口の中をかき乱す。
まるでそれ自体が生き物であるかのような動き。
クチュクチュと二人の舌と唇が絡み合う音が響く。
だんだん体が熱くなり、意識がぼんやりしてくる……。
「あれ? もうギブアップ?」
まるでからかうような言葉。
一瞬唇が開放されたと思ったら、ぼんやりとした視界に彼の瞳が映った。
あたしはまだ残っていた力を振り絞って、必死の抵抗のつもりで潤んだ瞳で彼を睨み返す。
「そういう表情されると……たまんないんだけど」
そう言うと、彼はまたあたしの口を塞いで舌を入れてきた。
「……ん…やめっ……」
なんとか隙間を作って、声を上げたあたし。
「やめらんねー」
彼はあたしの両手を頭の上に上げて左手だけで押さえ込むと、空いた右手を下げて、あたしの頬から首筋にかけてスーッとなでる。
ビクンッ
思わず体が反応しちゃう。
そして、ブラウスのボタンを焦らすように一つずつゆっくりと外していく。
すっかりブラウスがはだけて下着を露にしてしまったあたし。
「んー。良い眺め」
ニヤリと笑うと今度は首筋にキス。
「……あんっ……」
自分でも驚くような卑猥な声を上げてしまう。
その声を聞いて何か納得するかのように、彼の手が動き出した。
ブラの上からあたしの胸を揉む。
「あ……やぁ……」
甘い吐息とともにまた声が出てしまう。
拒否する言葉を発しているつもりだけど、誰が聞いてもそうは聞こえないだろう。
「やじゃないだろ?」
耳元でそう囁く彼。
彼の長くキレイな指は、あたしのブラの中に入って、とうとうあたしの敏感な部分を捉えた……
そして……
そして……
えーと…
「……小菅!」
えーと…
「小菅!!」
え……?
「はぃい!」
あたしは飛び上がるほど驚いて立ち上がった。
その途端、教室中が笑い声に包まれる。
「お前……オレの授業でボケっとするとは、良い度胸だな」
へ?
あたしはキョロキョロと周囲を見渡す。
教壇には、鬼のような形相の数学の田中先生。
田中先生は、うちの学校で唯一の20代の男性教師。
“男”で“若い”ってだけで、生徒の間ではひそかな人気がある。
たしかに、それなりにかっこいいんだけどなぁ……
性格がSっぽいっていうか、ちょっと怖いんだよぉおおお。
「次の問3、お前が答えろ」
田中先生は顎で黒板を指して、あたしに前まで出て来いと合図する。
「は……はい!」
と、慌てて手にした教科書は……英語だし!!
きゃああああ。
数学の教科書すら出してなかったよぉおおお。
田中先生の顔はますます冷たいものに変ってゆく……。
そして、じりじりとあたしに近づいてくる。
きゃあああ。
先生の顔、こんなにアップで見るの初めてかもー。
叱られているというのに、先生の精悍な顔立ちに見とれるあたし。
みんながかっこいいなんて言うのもちょっと頷けちゃう。
四角いメガネの奥の鋭い目つきに釘付けになる。
とたんに、あたしの頭の中を駆け巡る妄想。
意地悪数学教師と女子高生の恋愛……なんてのもいいかもぉ……。
そんな妄想に、思わずぽわーんとなって、頬を染めるあたし。
「小菅ぁあああああ!」
「ハイ!」
先生の我慢の糸がプッツンと切れた音が聞こえた気がした。
あたしは、頭の中に浮かんだ妄想を急いでかき消して、姿勢を正す。
先生はあたしを射抜くような目で見つめる。
もうその距離は、吐息が感じられるほど近づいていた。
ど……どうしよっ。
キーンコーン……
その瞬間、教室内の緊張を解くような、能天気なチャイムの音が鳴り響いた。
ほっと胸をなでおろす。
先生はフーっと大きなため息をもらすと、
「次の授業、このページは全部お前に解いてもらうからな」
ニヤリと笑ってそう言うと教科書でカツンとあたしの頭を軽く叩いた。
「ハイ! じゃ、今日の授業はこれまで!」
先生の後ろ姿を見送って、力が抜けたあたしは、ストンとイスに落ちるように腰掛けた。
「もー! なにやってんのぉ?」
クスクス笑いながら、あたしの前の席の綾乃が振り返る。
武田綾乃(タケダアヤノ)。
あたしの親友。
茶髪の巻き髪にメイクもバッチリ。
絵に描いたような、いまどきの女子高生。
「べべべべべっべっつにぃ……」
なんて答えたらいいかわからず、いかにも怪しい返しをするあたし。
「日向ぁ…。また妄想トリップでもしてたんでショ?」
「なっ……なにいって……」
当たってる。
当たってるだけに、余計に動揺しちゃう。
綾乃の言うとおりだ。
あたしは授業中だというのに、得意の妄想の世界に浸っていたってわけ。
図星をつかれて真っ赤な顔になりながらも、必死で動揺を隠そうと、とりあえず鞄を取り出し、手当たり次第に教科書やノートをそこにしまい込む。
さっきの授業は6時間目だったから、今日はこれでおしまいなのだ。
「ねぇ。今日帰りカラオケいかない?」
綾乃が上目遣いでそう訊いてきた。
「んー」
一応、考えるふりしたけど、あたしの心は決まっている。
「ごめん。今日も早く帰らなきゃダメなんだぁ」
あたしには、カラオケなんて行っている暇ないのだ。
「えー? たまには行こうよぉ? 北清水学園の男の子達も一緒だよ?」
北清水学園っていうのは、うちの学校の近くにある男子校。
イケメン率が高いことで評判らしい。
でも……
「パス。みんなで楽しんできて」
あたしは鞄を手に取ると、勢いよく立ち上がり
「じゃね」
そう言って、足早に教室を出た。
校門前には、うちの生徒を待っているっぽい、男の子達が数人いた。
私立桜谷女子高等学校、通称……“チェリー”なんて名前で呼ばれる学校。
あたしが通うその学校は中学から大学までエスカレーター式のいわゆるお嬢様校の部類に入る女子校。
制服が可愛いだとか、実際に可愛い子が多いだとか、学校の名前を言うだけで、男の子受けもかなり良い。
そのせいか、こんな風に校門前に男の子達が出待ちをしているのは、よく見る風景。
だけど今のあたしにはそんなこと関係ない。
あたしは男の子達の前を素通りして、家まで徒歩15分の通い慣れた通学路を駆け抜けた。
爽やかな5月の風があたしの頬をくすぐる。
あたし、小菅日向(コスガヒナタ)16歳。高2。
ルックスも勉強も…何もかも、中の……中ってとこ。
どこにでもいるような普通の女の子。
でもあたしには遊んでるヒマなんかないの。
だって、カラオケよりもイケメンよりも、あたしの心を掴んでいるものがあるんだもん。
それは……
「ただいまー」
家につくなり、二階の自分の部屋に駆け上がる。
制服も脱がずに、まずはパソコンの電源をスイッチオン!
ウィーン……
パソコンの立ち上がる機械的な音が静かな部屋にじわじわと響く……。
その間に、制服を脱ぎ、愛用のパーカーワンピに着替える。
いったん部屋を出て、キッチンでアイスティーを入れ、グラスの中の氷をカラカラ鳴らしながら、もう一度自分の部屋に入る。
グラスを机の上に置き、イスに腰掛けて深呼吸……。
この瞬間から、あたしは“小菅日向”じゃなくなる。
インターネットを立ち上げて、お目当てのサイトを開く。
それは、あたしのホームページ。
今日も2000人以上の人が、閲覧してくれている……。
その数字に安心感と満足感を得る。
この瞬間が何よりも好き。
あたしがホームページを開いたのは、半年ほど前。
友達の間で流行っていたケータイ小説というものを読んだのがきっかけだった。
自分と同い年ぐらいの子達が書く小説。
大人から見れば、文章力だとか構成力だとか、レベルは低いかもしれない。
だけど、そこにはあたし達が今興味があるもの(男の子のことや恋やHや色々……)がぎっしり描かれていて、あたしはそれらを夢中で読み漁った。
読んでいくうちに、ふと思ったの。
これならあたしにも書けるんじゃないかって。
子供の頃から、自分をお姫様に見立てて空想遊びをするのが好きだった。
もちろん本棚にはずらりと並んだ少女漫画。
あたしの空想(というか妄想)や漫画で得た知識を駆使したら、小説の一つや二つぐらい書けそうな気がした。
試しにちょこっと書いてみたら、それがあれよあれよと言う間に人気が出ちゃって、今ではあたしの小説はランキング上位の常連だ。
最初は携帯から更新していたんだけど、パソコンの方が早いし下書きもしやすいから、最近は家に帰ってからのこの時間を執筆活動に充てている。
ちなみに、ハンドルネームは“ヒマワリ”。
本名の日向を文字って向日葵。
漢字だと硬い印象があるので、カタカナで“ヒマワリ”にしている。
あたしは慣れた手つきでカタカタとキーボードを触りながら、小説の更新を行った。
続きを楽しみにしていてくれる読者も多いから、毎日の更新があたしの日課だ。
今日は数学の授業中にたっぷり妄想してきたのでタイピングの手も軽やかに筆(?)が進む。
あっという間に本日分の更新を終えたあたしは、
「さてと……」
アイスティーをストローですすりながら、今度は掲示板をチェック。