警官の名は、藤田五郎といった。

階級は警部補。

どこにでもある平凡な名であり、階級にしても然程上ではない。

だが彼に一目置く者は少なくない。

名前よりも、階級よりも、彼を畏怖させるものがあった。

…新撰組を知っているだろうか。

幕末、幕府に属していた日本最強にして最後の剣客集団。

彼らが存在したが為に、維新は十年遅れた。

後の歴史家にそう言わしめるほどの高い戦闘能力を持っていた侍集団である。

その新撰組の中に、最強といわれた一番隊組長・沖田総司と比肩する男がいた。

新撰組三番隊組長・斎藤一。

新撰組の撃剣師範をも務めた、と言えば、その実力は推して知るべしだろう。

彼は幕末末期、新撰組が崩壊し始めた後も副長の土方歳三と共に北へと転戦を続け、戊辰戦争最終役・函館戦争をも生き延び、明治を迎えた。

その後鹿児島で西郷隆盛が武装蜂起した西南戦争にも政府の警視庁抜刀隊として参加し、幾度となく死地を潜り抜けてきた。

…その頃には、彼は藤田五郎と名乗り、明治の壬生狼(みぶろ)として生き続けていた。