藤田は駆け引きの腹づもりもあったのかも知れない。

しかし。

「はい、僕は講道館柔道の嘉納治五郎先生の所に世話になっています」

何一つ包み隠さず。

四郎は正直に藤田に答えた。

…講道館柔道。

名は藤田も知らぬでもない。

嘉納治五郎という男が、様々な柔術流派を学んだ上で興したという一門。

この時代で主流であった『柔術』ではなく、敢えて『柔道』と名乗っていた。

嘉納曰く、『講道館は術理ではなく道そのものを教えるのだ』とか。

…藤田には何とも甘っちょろい題目のように聞こえた。

剣術にしても武術にしても、元を正せば人を殺める為の技術だ。

如何に効率よく、如何に数多くを仕留められるか。

そこに全てがかかっている。

故に人殺しの技に道も何も関係がなく。

あるのは死地に赴く為の心構えと技のみ。

だが、このような甘ったれた題目を唱える流派が現れるのも、明治という太平の世になった影響か。

藤田は内心苦笑するのだった。