「二回死んで…一回死にそびれたわ」

 笑いながら、早紀は呟いていた。

 涙は、もう流れていない。

 拳が、止まる

 貴沙の拳だ。

 そうだ。

 早紀がずっと恐れているのは、ただ『自分が消える』こと。

 だが。

 その『自分が消える』を体験する相手が、そこにいる。

 貴沙は、消えたのだ。

 そうして、早紀になったのだ。

「あんた…なんでそんなに気持ち悪いの」

 貴沙が、ぶるっと身を震わせる。

 怒りは顔から消えてはいないが、彼女の本能が怯えさせるのだろう。

 逆に。

 早紀が、彼女を殺したら──どうなるのだろう。

 このひ弱な手で、美しく傲慢な貴沙を。

 鏡のこちらと向こうのように、本当ならば、同じところにいてはならない二人なのだ。

 それならば。

 自分を消したくないというのならば。

 椅子を奪い合う相手を、この手で。

 既に、自分はおかしくなっているのかもしれない。

 おかしくなりかけていたのは、確かだ。

 あの最初の死から、彼女は妖しい森に迷いこんでいたのだから。

 真理、鎧の男、トゥーイ、零子、タミ、伊瀬、イデルグ、双子の男。

 登場人物の変わる物語の中に次々放り込まれ、しかし、どこも真っ暗な森ばかり。

 出てくる答えは、蛇や化け物。

 どれもこれも、早紀を幸福になどしてくれなかった。

 けれども。

 けれども、その中でたった一人。

 側に真理が、立ってくれた。

 庇護してくれる人が現れたと思ったのに。

「なによ…」

 早紀は、身震いをした貴沙に向かって──足を踏み出していた。