「高耶くん?」
「あれ、いらないならオレに下さい」
高耶くんが見ているのは、下駄箱の上においていた、光臣くんのプレゼントだった。
帰ってきたときに慌てて置いたままだった。
高耶くんの目は怖いほど真剣で、知らない人、知らない男の人みたいな目だった。
「花蓮さん」
先輩じゃなくてさん付けで呼ばれてるだけなのに、胸がドキドキする。
「送ってきたお礼貰っても良いですよね?」
高耶くんは袋を手に取ると中からマフラーと手袋を出して身につけた。
光臣くんのため作った、紺と紫と白のマフラーと黒の手袋。
「似合ってるね。送ってくれてありがとう」
「あったかいです。さよなら、仕事頑張ってください」
手放したはずなのに、光臣くんの気持ちだけはどうしても私から出て行かない。
あれからケータイはずっと鳴らない。
おかしい。
花蓮のケータイに何度かけても通じない。
あいつまたマナーモードのままにしてんのか?
折角ケータイを持たせても、通じるのはごく僅かな回数だけだ。
「畜生。あいつ、ちゃんと家に帰ってれば良いけど」
いつもルーズなくせに、約束には敏感な奴で、意固地のようになって守ろうとする。
時計はもう8時を過ぎている。
雪も降っているのに、あそこにいたら手が悴んでしまう。
どうしてオレは、あそこに行かなかったんだろう。
「光臣くん、大丈夫?お友達に連絡ついたの?」
「いや。多分大丈夫だよ」
「ごめんね。無理言ってしまって」
大丈夫。あいつは絵のためならオレすら袖にした女だ。
最初のデート美術館に行った。あいつは美術部だったからあいつに合わせた。そうしたら、一度心を奪われた絵の前に立った途端、動かなくなった。
行こうと言っても聞かなくて、実力行使に出たら、腕を逆に取られてぶん投げられた。
そろって、美術館から追い出されたのは言うまでも無かった。
そういう女だ。花蓮は。
だから、大丈夫。
好きな女を放ってオレは、千春の前にいる。
ちゃんと行くはずだった。
準備もしていた。
誕生日はストラップしかやれなかったから、クリスマスプレゼントも用意していた。
あいつに似合いそうな蝶のモチーフのペンダント。アクセサリーなんて持ってないだろうから、喜んでくれると嬉しいと思いながら選んだのに。
どうしてオレはここにいる。
「柚木さんとお付き合いしてるって聞いたわ」
「あぁ」
「私はきっと彼女に恨まれるわね。折角のクリスマスイブに恋人を盗ってしまったんだから」
「仕方なねぇよ。今日は・・・」
そう仕方ない。
千春が高校卒業してから、会っていなかった。家を出て大学に通っていたことを知っていた。
それが帰ってきていた、千春にばったりと会ってしまった。
「光臣くん久しぶり。また背が伸びたのね」
別れた時とと同じ優しい穏やかな声。
あの頃の記憶が戻ってきそうになった。
別れを切り出したのは、自分からだった。
大学に行く千春に置いて行かれるのが嫌で、それを千春にぶつけてしまった。
千春は黙って受け止めてくれたけど、彼女の優しさに甘えている自分が情けなくて身を引いた。
千春の傍にいると、自分の嫌なところばかりが目に付いた。
千春は優しいから、そんな子供染みた言い訳のような別れの言葉も受け入れてくれた。
好きだから離れなくてはならないなんてなあの頃は知らなかった。
「そろそろ帰るな。一人で大丈夫か?」
「うん。高耶ももうすぐ帰ってくると思うから」
折角、姉が帰って来ているのに高耶は家にいなかった。
「ごめんなさい。花蓮ちゃんにはあとで謝るわ」
「大丈夫だ。事情さえ話せば許してくれる」
そう、本当に仕方ないんだ。
誰だって目の前で怪我をされたら、それがましてや幼馴染だったら放ってなんかおけない。
「ゴメンね。私がそそっかしいばっかりに」
しっかりしているようでどこか抜けていた。そこは相変わらずだった。
軽く挨拶を交わしてすれ違った途端、何も無い道で足を捻ってしまった千春を介抱していたらこんな時間になってしまった。
それは違うな。
さっさと高耶に連絡して戻ってきてもらえば良かっただけの話なのに。千春と離れがたかっただけだ。
どうかしている。千春とのことは終わって、花蓮のことが好きなはずなのに。
千春を優先している。
何度か花蓮からの電話もメールがあったのに全部無視してしまった。
きっと怒ってるだろうな。
また電話がかかってきた。花蓮からだ。
だがすぐに切れてしまった。
すぐに駆け直すと玄関の向うから着信音が聞こえてきた。
「花蓮」
玄関を開けると、そこにいたのは花蓮じゃなくて、高耶がいた。手には花蓮のケータイが握られていた。
「へぇ、彼女を寒空に放っておいて、あんたはココで人の姉貴と暖をとってるってどういうことだよ」
「高耶くん、これはね。私が怪我をして、光臣くんを引き止めてしまったの」
「姉さんは黙っててください」
高耶はオレを見て軽蔑した目をむけてくる。オレはそうされるようなことをしたんだから当然だ。
「これ返しますよ。もうあんたにも花蓮さんにも必要ないでしょ」
花蓮のケータイを渡された。どうしてこれを高耶が持ってるんだ。
「安心してください。あの人は無事に家に送りました。でも、オレがあのまま声をかけなかったら今でもあそこにいたでしょうね」
いつも飄々としている高耶が珍しく感情をさらけ出して怒っている。千春と別れた時以来だとぼんやりと考えていると衝撃が走った。
目の前がチカチカ光ったかと思ったあとに、頬が熱くなった。
「みんな言ってるよ。あんたは花蓮さんを姉さんの身代わりにしてるって」
「違う!」
「違わないだろ!!だったら何でここにいるんだよ。・・・花蓮さんは知ってると思うよ。あんたが花蓮さんの中に姉さんを見てるって。弟のオレでも似てると思うんだから。あの人は絶対に人を責めたりしない、その強さと優しさにあんたはどんだけ甘えてんだよ」
「違う・・・オレは」
「そんなにうだつの上がらない男だとは思わなかった。曖昧な気持ちで付き合ってんならもうあの人に近づかくな。ってか、もう終わりだよね。これ見てくださいよ」
高耶が指差す先には、見覚えがある色の組み合わせのマフラーが巻いてある。
「花蓮さんがくれたんです。暖かいですよ」
思わずマフラーに手を伸ばした。花蓮がこの色が似合うと言ってくれて編んでくれたオレのマフラーを取り返したかった。
手を伸ばすが、高耶に手を叩き落されて。手が所在無げに彷徨う。
「バカな人だ。そんな必死な顔するなら最初からあの人だけを見てれば良いのに。ちなみに明日、会いに行こうたって無駄ですよ。花蓮さん、でかけるみたいですから」
失礼しますと行って高耶は家の中に入って行った。
「光臣くん、ごめんなさい。
「千春のせいじゃねぇよ。オレのせいだ。あながち高耶のいうことは嘘じゃない」
オレは千春を忘れなれなかった。凛とした強さと芯のある優しさが好きだった。
花蓮に惹かれたのも、千春の面影をみたからだ。顔は千春とは全然違うけれど、絵に対する真っ直ぐで愚直な姿勢。包み込む母親のような優しさが千春を匂わせた。
今更になって思い知った。自分がどれだけ花蓮に甘えていたのか。
花蓮の優しさに寄りかかって、他の女の影を写していた。
どんなに彼女の心を傷つけていたことも知らずに。
オレの中にあるケータイと、高耶の元にあるマフラーが花蓮がオレを見放したことを物語っていた。
蝶のペンダント。
千春は蝶が好きだと言っていた。
けど花蓮は好きだと言っていた記憶がない。
オレは少しも花蓮を見ていなかったんだ。
それだけじゃない。
オレは花蓮のことを何も知らない。
どうして君はオレを好きになってくれたんだろうか?
クリスマスイヴの次の日、新しくプレゼントを買い直して花蓮の家に向かった。
花蓮を思い出しながら考えた、天使の羽がモチーフの髪飾り。ワンポイントに付いているアメジストは、花蓮の誕生石だ。
緩いくせっ毛の髪を纏めるのにいつも苦労していた。
少し茶色がかった髪にきっとよく映えるはずだ
ふわふわとする髪を触るのが好きだったことを今になって気が付いた。
「いない?こんな時間なのにか?」
夜9時頃、塾を終えてから花蓮にむかった。
出て来た達久は花蓮の不在を一言だけ伝えてドアを閉めた。