名前などなく、親の顔さえおぼろげで、
物事も ろくに知らなかった僕が
レンデル家に引きとってもらえたのは、
そこの子供、ハイネと歳が近かったから。


ハイネは言ったんだ。

「僕の“しもべ”になってよ。
 一緒に遊んでくれるなら、ここのよりも ずっとずっと
 上等な暮らしを させてあげる」

上等、って なに?

僕は首を傾げた。


すると、ハイネは僕の全身を眺めて 悪戯っぽく笑った。

「走るのが好きだろ?
 僕と 追いかけっこしない?」


うん、はしるのすき。
でも……。


追いかけっこ、の意味は知ってた。

心臓が止まるくらい、怖い怖いもの。

心臓が爆発しそうになるまで、
命がけで 全力で 逃げ回ること。

薄暗い 路地と路地の隙間を。

見つかったら、追いつかれたら……。



レンデル家の この人たちも、
僕が そんなふうに恐ろしい目に遭うのを
面白がるため、ここに来たの?


僕は うなずくことさえ

喉が詰まって 苦しくて 体が固まって




男の子の隣に立つ やわらかな女の人が優しく言った。

「息子の友達になってくれないかしら?
 ハイネは一人っ子だから、遊び相手がいないの。
 あなたが来てくれたら嬉しいわ」

うれしいの? ……行ってもいいの?

こわく、ない?


僕は男の子と女の人を 交互に見つめた。

ほんとうに?




ただ 見上げる僕は きっと
愚かで 哀れで ちっぽけだったろう。

何かを選ぶことを知らず、
自分の行く末すら 決めることもできず。


すると、口髭をたくわえた
厳めしい顔つきの 男の人が言った。

「ハイネ、これでいいだろう?」

「はい、お父様!」

「決まりだ」

「ありがとうございます、レンデル様。
 この子は 穏やかで従順ですのよ。
 きっと よい従者に育つことでしょう」

施設には 僕のような子供がたくさんいて、
みんなの世話をしていた 院長先生は
とてもにこやかに お辞儀をした。