しまいは わずかに肩をすくめた主人。
買い物ができなくなるかも、と言ったことは 僕にも分かった。

だけどパディは がっかりも怒りもせず、
同じように ちょっと困った顔をして、ため息をついた。

「それは仕方ないわよね。
 ドイツのものを 今までと同じに扱えるはずがないもの。
 はい、旦那様には必ず」

「すまないが、頼むね」

二人のやりとりを見上げていたら
焼きたてのパンみたく つややかな額に手を当て、
主人は、僕を 今度はまじまじと眺めた。


「レンデルさんは、やはり祖国の血を大切にしたいらしい」

呟くように。



そのとき、唐突に 背中へ何かが刺さるような感覚を覚えた。
びっくりして振り返ると、しなやかな足取りで
黒猫が入ってくるところだった。

「おかえり、マルグリット」

カウンタの椅子へ ひょい、と跳び上がり、
スミス氏に 尻尾をやんわり振って返事をし、
マルグリットと呼ばれた成猫は、見慣れない僕を凝視した。

そういえば、僕は 猫がちょっと苦手だったっけ。

睨まれて体が固くなり、ふと思い出した。
さっきの感覚も、きっと
この猫に、まっすぐ見られたからなんだろう。


深夜に浮かぶ満月が ふたつ。
細長い瞳孔を じっと向けてくる。

謎めいていて、何を考えてるのか ちっとも分からない
というところも、僕が 猫を苦手に思う理由のひとつ。

気まぐれにひっかかれそうな気がして どきどきする。
体中が固まってしまい、そのまま目が離せなかった。



「さて、じゃあ帰ろうか、ルウ」

マルグリットの頭をひと撫でして、パディが言った。
猫は 嬉しそうでも嫌そうでもなく、にゃあ、と
ひと声 鳴いた。