それは 坊ちゃまの演奏のこと?

「全く、いつまで経っても 下手くそね。
 いっそ、やめてしまえばいいんだわ、ヴァイオリンなんて。
 ……あたしは 閉めてって、言ったのよ?」

アンナの声は 少し大人びていて、少し甘くて
天使のくちびるに とても似合っていたけれど、
僕には決して真似できない 手厳しさをまとっていた。


「……あの、ごめん。
 勝手に閉めたら、パディが困るもの」

「そう。じゃあ、せめてあなたは ここで絶対に歌わないでね。
 あなたのは、ハイネの何倍もひどかったから」

「……ごめんなさい」

逃げたくなるほど 恥ずかしかったし、怖かったけれど
両足に ありったけの力を込めて、僕は声を出した。

「はじめまして、って言いたくて。
 僕――」

「ルウ、というんでしょ?知ってるわ。
           ・・・・
 この間から ハイネに飼われているのよね」

「あ……」


そうだね。
アンナの言う通りだった。
パディたちみたく、お屋敷の中で働ける者は
“仕える”っていうんだ。
僕にできるのは ただの遊び相手だもの。



返事ができずに、じわりとするものを 必死に留めていたら
アンナが 吐息まじりに言った。

「まだ、何か ご用がある?」

ざあ、と 数秒 強くなった雨が、
彼女の瞳を わずかに曇らせた。

「何をしてるの……?」

アンナの手元には 何もなかった。

「見てるの」

そっけない言葉は、退出しろ、を含んでいた。

だけど、もうひとつ 僕は知りたかったんだ。
天使の瞳に 何が映っているのか。

「なにを?」


「見える世界を」



憂いない 昼間の瞳で。




欠片ほどの隙もない 完璧な横顔は、
灰白く煙る 四角形の世界へ
今にも 鋭く 光の矢を放ちそうだった。