文化祭まで、あと数日となった頃、校内はそれはもうお祭りのようだった。
各教室はそれぞれ鮮やかな装飾をされ、なんとなく心が弾む。
私のクラスも教室の中は、だんだんアメリカを感じさせる色鮮やかな装飾になっている。
壁には赤と白のストライプのダンボールを立てかけて、看板は渦巻きのキャンディやカラフルなアイスクリームをポップに描かれている。
机の配置もいつもと変わっていて、黒板にはポップなキャラクターが描かれている。
なんだか、非日常を感じられて心が沸き立つ。
これから4日間、文化祭までは授業がなくなり、丸1日準備に当てられる。
クラスの端っこでお菓子を食べておしゃべりしている子もいれば、中心でハキハキとみんなをまとめる子もいた。
みんなであれこれ話し合ったり、ふざけたり、自由に作業しているのだ。
私は、教室と大会議室を行き来して備品を揃えたり、みんなに指示を出したり、資料をまとめたりと、走り回っていた。
朝から放課後まで実行委員は大忙しだ。
文化祭までの数日と言えど、さすがに疲労が溜まっている。
その忙しさから少しだけ逃れるため、私は頻繁に大会議室に出入りしていた。
大会議室には実行委員以外入ってこないから、静かだ。
その実行委員も、今は、クラスの準備にかかりきりでほとんど出入りがない。
だから、のんびりするにはもってこいなのだ。
まあ、理由はもうひとつあるけれど。
当日は西校舎は立ち入り禁止になるから、1歩踏み入れれば、一気に閑散とする。
大会議室は質素で、少し埃っぽい。窓を閉め切ってるから、薄暗くなんだか落ち着く。お祭りでうきうきした気分から遠ざくと、やっと気が抜ける感じがするのだ。
足音の響く階段を登り、動きの悪い大会議室の扉を音を立てて開けた。
こもった空気が中から溢れ出る。
少し呼吸が苦しいくらい生暖かい。
そして、カーテンを開け、窓を開けた。
中庭から少し冷たい風が通り抜け、きれいな空気を思い切り肺に入れた。
中庭に咲いていたあのオレンジ色の小さな花は、もう既に力尽きていて、残り香もなにもなかった。
そこには秋の香りだけがあった。
彼が好きだと言った私の花の姿が無くなったのは少し寂しく感じる。
「あ、桂花ちゃん、また居る。あんまりサボんなよ。」
「千里先輩こそ。毎日来てるんでしょ?」
「俺はいーの。どうせ舞台あがらないからー。」
静まり返った大会議室に、大好きな、あの声が響いた。
これがもう一つの理由だ。
彼は大会議室に毎日のように来ているらしい。
それを知ってから、ほぼ毎日のようにここに通う様になっていた。
ここに来れば彼がいて、のんびりとした時間を過ごせる。
これは、私だけの特権だ。
誰かにって訳では無いけれど、少しだけ優越感に浸っている。
彼も私も委員会の時と同じ席のままで、それぞれ違うことをしている。
私はずっとSNSを見ていた。くるくると変わる動画を、いつもぼーっと眺めている。
彼は、ずっと本を読んでいる。
たまに、「疲れた。」とか「腹減った。」とか言って、少しふざける時があるけれど、それ以外は口を開かない。
初めは、私から話しかけてみようかなとも考えたけど、彼はその本を妙に熱心に読むから、邪魔しちゃいけない気がして気が引けた。
白い紙に包まれた本が彼の手に納まっている。
本の表紙は、見えない。
表紙を裏返しにしていて、題名が見えないからだ。
彼が好きな本を私も読んでみたかったのに。
この日も、彼は熱心にその本を見つめていた。
その横顔は、今まで見た事ないくらいに真剣だった。
「先輩はクラスの準備してるんですか?ちゃんとやらなきゃ駄目なんだ。」
「いやー、俺のサボりスポットに人が増えたばっかりに。」
「なんですか?」
「なんでもないしー。」
いつもはもっとにこやかなのに、今日は疲れているというか、やつれているというか。
とにかくいつもと違って、少しきつい。
表情がかたいっていうのもあるんだろうけれど。
それに、いつもよりもページをめくる速度がはやい。
ぺらぺらとページをめくっては、上から下にひたすら視線を動かしていた。
「……千里先輩。」
真剣な眼差しが少し怖かった。
「…何かあった?」
一定の速度で動いていた長い指先が、ぴくりと止まった。
「…別に、なんもないけど。」
彼は、またパラパラとページをめくり出した。
さっきより、強く、強く、本の文字を見つめている。
そのまま本に潜って行ってしまうような気がした。
「そっか。なら無理に聞かないけど、」
そう言って、立ち上がり、『和泉 銀次』の席に着いた。
「独り言なら誰も聞いてないですよ。」
無理に強いるのは良くないとは思ったけれど、今日の彼の横顔は、いつもよりなんだか辛そうで思い詰めている気がした。
少しでも強く触れたら、ほろほろと壊れてしまいそうな。
そんな、痛々しい様子だった。
彼を、支えたいと思った。
大それた考えだけれど、彼が私にしてくれたみたいに、私も彼を何かから救いたいんだ。
無理に言わせないように、彼の方を見ないようにした。
圧をかけたくなかったから。
ずっと、胸ポケットに閉まってた鏡を取り出して、開けたり閉めたりして、ひたすら待っていた。
鏡に映った私は、以前より顔色が良くて、自信があるようだった。
そんな自分の姿を見て、なおさら、救いたいなって思ってしまった。
彼に救われた自分は、彼のために何かしたい。
彼は、同じページをしばらく見つめたままにして、そして、やっと口を開いた。
「…成績が、前と比べて少し落ちてさ。」
ポツリと呟いた彼は、いつもよりも小さく見えた。
実行委員の2年の先輩が言っていたけれど、たしか、彼は学年でも相当優秀らしい。
文系なのに毎回上位に入ってくる、と理系の先輩が悔しがっていた。
「…俺、行きたい大学があるんだ。」
呟くようにして言った彼の目は強く静かに輝いていた。
明確な夢を見据えた、覚悟の決まった、眼。
「ほら、俺、文系だしさ。そもそも覚えるのも理解するのにも時間かかるし、人一倍頑張んなきゃなんないんだ。そうじゃなきゃ、やりたい事やれないだろ。」
そう言って少し自嘲気味に笑った。
「いえ、そんなこと…」
「だから、…。うん、…なんか改めて言葉にしたら、覚悟固まったよ。頑張るしかないわ。」
千里先輩はそう言って、いつもとは違う弱々しい力ない笑顔を見せた。
その笑顔には、これ以上踏み込むな、と言われているような気がした。
「…頑張って。先輩なら大丈夫ですよ。」
彼はそのままその本に視線を移し、ページをめくった。
彼の横顔は寂しそうで冷たくて、凍りそうだ。
彼の力になれなかった。
やっぱり、私には、大それたことだったんだ。
調子に乗った自分が恥ずかしくなって、俯いた。
すると、先輩の手元がはっきりと見えた。
なんの本が分からなかったものは、単語帳だ。
ずらりと並ぶ英単語を見て、どくんと心臓が脈を打った。
彼はいつもここで、少しふざけて笑っていた。でも、勉強していた。
私がSNSで時間を浪費している間にも、彼は有効的に時間を消費していた。
頬がかっと熱くなった。
下唇を噛んで、また俯いた。
恥ずかしい。
こんな怠惰な人間が、努力している人に何か言えるはずがない。
「そろそろ、教室の様子見に行かなきゃ。ごめんなさい、邪魔して。じゃ。」
そう言って立ち上がり、思いきりドアを引いて、大会議室を飛び出した。
勘違いしてたんだ。
千里先輩と前より仲良くなって、前より落ち着いて、対等に話せるようになって。
自分の黒い感情まで受け止めてもらえて。
自惚れていた。
彼の役に立てると勘違した。
全然、そんなこと無かったんだ。
彼にとって私は、彼の内に留めてある気持ちを伝える程の存在じゃないんだ。
当たり前だ。
付き合ってもないし、彼は私のことをただの1年の女子としか思ってくれていないのだから。
ばかだ。
先輩の近くにいるのに何も出来ない自分に恥ずかしくなった。
「桂花さん。ちょっとちょっと来てくださいよ。」
教室に帰ってきて以来、明らかに気分が下がっている私に、楓がなんだかにやにやとしながら廊下に手招きをしていた。
なんだろ。
小走りで駆け寄ると、楓は顔を手で覆い、さらににやりと笑っていた。
「桂花、知ってる?後夜祭、フィナーレの花火を一緒に見た2人組は将来幸せになれるんだってさ!」
急に何を言い出すのかと、疑問に思った。
どうやらそれは顔に出てたみたいで、楓はくすくすと笑って、
「桂花、好きな人いるでしょ。その子のこと誘いなよ。」
と言った。
「え!?」
思わず声が大きくなってしまった。
それを見た楓は、少し驚いてけらけらと笑った。
あれ言ったっけ、楓に、千里先輩のこと気になっているって。
いや、別に秘密にしたかったわけじゃないけど、なんだかこう言うことを自分から友達に話すのは少し恥ずかしい。
「…ええ、なんで分かったの?」
「分かるよ。前と今の桂花、全然違うもん。なんかこう、肌ツヤがいい!」
桂花は少し冗談めかしてニヤリと笑った。
肌ツヤがいいとか言って少しふざけて見せたけど、たぶん目線とか口調とかそういうの全て、私のことをよく知っているからなんだろうな。
楓は本当に人のことをよく見ている。
楓にはかなわないな。
「あ、大丈夫。千穂には言わないよ。あの子は大騒ぎするだろうからね。」
ははっと笑って、人差し指を口の前に当てた。
その表情とポーズが、とても可愛らしかった。
人の中心にいるような人は、やはり周りもよく見ているんだ。
思いやりがあって、優しくて、気が使える女の子。
こんな子のことは誰も嫌いになったりしないだろう。
もちろん私も大好きだ。
多分楓は、様子のおかしい私を元気づけようとしてくれたんだ。
その優しさに目が潤んだ。
「ありがと。」と楓を見たら、ふふっと笑って「なんのこと。」と言った。
楓になら、千里先輩のことを話してもいいかもしれないな。
楓は大人っぽい見た目をしているし、人に懐に入り込むのが上手いから、年上の人と付き合う機会が多くあった。
もしかしたら、アドバイスとかくれるかもしれないな。
ふっと顔を上げると、きょろきょろと見渡しながら歩いていた千里先輩がいた。
彼は私の姿を見つけるとくしゃっと笑って走って駆け寄ってきた。
さっきまでの冷たさはひとつも無かった。
「桂花ちゃん。さっき、大会議室にこれ、また忘れてたよ。」
「あ…すみません。ありがとうございます。」
彼の手には、あのシャープペンがあった。
また置き忘れていたみたいで、届けてもらってしまった。
慌てて受け取ると、彼は、にっと笑った。
さっきの事で勝手に気まずくなっている私は、彼と上手く目が合わせられず、下を向いていた。
「…」
「…」
話すことがない。
気まずい。
そして、ハッとしてさっき楓から教えてもらった後夜祭の話を思い出した。
「先輩、知ってますか?文化祭の後夜…さい、って…」
ぱっと顔を上げたら彼と目が合わなくて、その上、彼は驚いたように目を見開いていた。
「え、千里先輩?どうしました?」
彼の視線は私の頭の少し上くらいに溶け込んでしまいそうなほど見つめたいた。
私の少し後ろに立っていた人を、見ていた。
そして、
「………━━━━楓?」
と言った。
その声を聞いて顔を上げると、
「っ……千里先輩……。」
彼女も彼の姿を真っ直ぐに捉え、そう呟いた。
各教室はそれぞれ鮮やかな装飾をされ、なんとなく心が弾む。
私のクラスも教室の中は、だんだんアメリカを感じさせる色鮮やかな装飾になっている。
壁には赤と白のストライプのダンボールを立てかけて、看板は渦巻きのキャンディやカラフルなアイスクリームをポップに描かれている。
机の配置もいつもと変わっていて、黒板にはポップなキャラクターが描かれている。
なんだか、非日常を感じられて心が沸き立つ。
これから4日間、文化祭までは授業がなくなり、丸1日準備に当てられる。
クラスの端っこでお菓子を食べておしゃべりしている子もいれば、中心でハキハキとみんなをまとめる子もいた。
みんなであれこれ話し合ったり、ふざけたり、自由に作業しているのだ。
私は、教室と大会議室を行き来して備品を揃えたり、みんなに指示を出したり、資料をまとめたりと、走り回っていた。
朝から放課後まで実行委員は大忙しだ。
文化祭までの数日と言えど、さすがに疲労が溜まっている。
その忙しさから少しだけ逃れるため、私は頻繁に大会議室に出入りしていた。
大会議室には実行委員以外入ってこないから、静かだ。
その実行委員も、今は、クラスの準備にかかりきりでほとんど出入りがない。
だから、のんびりするにはもってこいなのだ。
まあ、理由はもうひとつあるけれど。
当日は西校舎は立ち入り禁止になるから、1歩踏み入れれば、一気に閑散とする。
大会議室は質素で、少し埃っぽい。窓を閉め切ってるから、薄暗くなんだか落ち着く。お祭りでうきうきした気分から遠ざくと、やっと気が抜ける感じがするのだ。
足音の響く階段を登り、動きの悪い大会議室の扉を音を立てて開けた。
こもった空気が中から溢れ出る。
少し呼吸が苦しいくらい生暖かい。
そして、カーテンを開け、窓を開けた。
中庭から少し冷たい風が通り抜け、きれいな空気を思い切り肺に入れた。
中庭に咲いていたあのオレンジ色の小さな花は、もう既に力尽きていて、残り香もなにもなかった。
そこには秋の香りだけがあった。
彼が好きだと言った私の花の姿が無くなったのは少し寂しく感じる。
「あ、桂花ちゃん、また居る。あんまりサボんなよ。」
「千里先輩こそ。毎日来てるんでしょ?」
「俺はいーの。どうせ舞台あがらないからー。」
静まり返った大会議室に、大好きな、あの声が響いた。
これがもう一つの理由だ。
彼は大会議室に毎日のように来ているらしい。
それを知ってから、ほぼ毎日のようにここに通う様になっていた。
ここに来れば彼がいて、のんびりとした時間を過ごせる。
これは、私だけの特権だ。
誰かにって訳では無いけれど、少しだけ優越感に浸っている。
彼も私も委員会の時と同じ席のままで、それぞれ違うことをしている。
私はずっとSNSを見ていた。くるくると変わる動画を、いつもぼーっと眺めている。
彼は、ずっと本を読んでいる。
たまに、「疲れた。」とか「腹減った。」とか言って、少しふざける時があるけれど、それ以外は口を開かない。
初めは、私から話しかけてみようかなとも考えたけど、彼はその本を妙に熱心に読むから、邪魔しちゃいけない気がして気が引けた。
白い紙に包まれた本が彼の手に納まっている。
本の表紙は、見えない。
表紙を裏返しにしていて、題名が見えないからだ。
彼が好きな本を私も読んでみたかったのに。
この日も、彼は熱心にその本を見つめていた。
その横顔は、今まで見た事ないくらいに真剣だった。
「先輩はクラスの準備してるんですか?ちゃんとやらなきゃ駄目なんだ。」
「いやー、俺のサボりスポットに人が増えたばっかりに。」
「なんですか?」
「なんでもないしー。」
いつもはもっとにこやかなのに、今日は疲れているというか、やつれているというか。
とにかくいつもと違って、少しきつい。
表情がかたいっていうのもあるんだろうけれど。
それに、いつもよりもページをめくる速度がはやい。
ぺらぺらとページをめくっては、上から下にひたすら視線を動かしていた。
「……千里先輩。」
真剣な眼差しが少し怖かった。
「…何かあった?」
一定の速度で動いていた長い指先が、ぴくりと止まった。
「…別に、なんもないけど。」
彼は、またパラパラとページをめくり出した。
さっきより、強く、強く、本の文字を見つめている。
そのまま本に潜って行ってしまうような気がした。
「そっか。なら無理に聞かないけど、」
そう言って、立ち上がり、『和泉 銀次』の席に着いた。
「独り言なら誰も聞いてないですよ。」
無理に強いるのは良くないとは思ったけれど、今日の彼の横顔は、いつもよりなんだか辛そうで思い詰めている気がした。
少しでも強く触れたら、ほろほろと壊れてしまいそうな。
そんな、痛々しい様子だった。
彼を、支えたいと思った。
大それた考えだけれど、彼が私にしてくれたみたいに、私も彼を何かから救いたいんだ。
無理に言わせないように、彼の方を見ないようにした。
圧をかけたくなかったから。
ずっと、胸ポケットに閉まってた鏡を取り出して、開けたり閉めたりして、ひたすら待っていた。
鏡に映った私は、以前より顔色が良くて、自信があるようだった。
そんな自分の姿を見て、なおさら、救いたいなって思ってしまった。
彼に救われた自分は、彼のために何かしたい。
彼は、同じページをしばらく見つめたままにして、そして、やっと口を開いた。
「…成績が、前と比べて少し落ちてさ。」
ポツリと呟いた彼は、いつもよりも小さく見えた。
実行委員の2年の先輩が言っていたけれど、たしか、彼は学年でも相当優秀らしい。
文系なのに毎回上位に入ってくる、と理系の先輩が悔しがっていた。
「…俺、行きたい大学があるんだ。」
呟くようにして言った彼の目は強く静かに輝いていた。
明確な夢を見据えた、覚悟の決まった、眼。
「ほら、俺、文系だしさ。そもそも覚えるのも理解するのにも時間かかるし、人一倍頑張んなきゃなんないんだ。そうじゃなきゃ、やりたい事やれないだろ。」
そう言って少し自嘲気味に笑った。
「いえ、そんなこと…」
「だから、…。うん、…なんか改めて言葉にしたら、覚悟固まったよ。頑張るしかないわ。」
千里先輩はそう言って、いつもとは違う弱々しい力ない笑顔を見せた。
その笑顔には、これ以上踏み込むな、と言われているような気がした。
「…頑張って。先輩なら大丈夫ですよ。」
彼はそのままその本に視線を移し、ページをめくった。
彼の横顔は寂しそうで冷たくて、凍りそうだ。
彼の力になれなかった。
やっぱり、私には、大それたことだったんだ。
調子に乗った自分が恥ずかしくなって、俯いた。
すると、先輩の手元がはっきりと見えた。
なんの本が分からなかったものは、単語帳だ。
ずらりと並ぶ英単語を見て、どくんと心臓が脈を打った。
彼はいつもここで、少しふざけて笑っていた。でも、勉強していた。
私がSNSで時間を浪費している間にも、彼は有効的に時間を消費していた。
頬がかっと熱くなった。
下唇を噛んで、また俯いた。
恥ずかしい。
こんな怠惰な人間が、努力している人に何か言えるはずがない。
「そろそろ、教室の様子見に行かなきゃ。ごめんなさい、邪魔して。じゃ。」
そう言って立ち上がり、思いきりドアを引いて、大会議室を飛び出した。
勘違いしてたんだ。
千里先輩と前より仲良くなって、前より落ち着いて、対等に話せるようになって。
自分の黒い感情まで受け止めてもらえて。
自惚れていた。
彼の役に立てると勘違した。
全然、そんなこと無かったんだ。
彼にとって私は、彼の内に留めてある気持ちを伝える程の存在じゃないんだ。
当たり前だ。
付き合ってもないし、彼は私のことをただの1年の女子としか思ってくれていないのだから。
ばかだ。
先輩の近くにいるのに何も出来ない自分に恥ずかしくなった。
「桂花さん。ちょっとちょっと来てくださいよ。」
教室に帰ってきて以来、明らかに気分が下がっている私に、楓がなんだかにやにやとしながら廊下に手招きをしていた。
なんだろ。
小走りで駆け寄ると、楓は顔を手で覆い、さらににやりと笑っていた。
「桂花、知ってる?後夜祭、フィナーレの花火を一緒に見た2人組は将来幸せになれるんだってさ!」
急に何を言い出すのかと、疑問に思った。
どうやらそれは顔に出てたみたいで、楓はくすくすと笑って、
「桂花、好きな人いるでしょ。その子のこと誘いなよ。」
と言った。
「え!?」
思わず声が大きくなってしまった。
それを見た楓は、少し驚いてけらけらと笑った。
あれ言ったっけ、楓に、千里先輩のこと気になっているって。
いや、別に秘密にしたかったわけじゃないけど、なんだかこう言うことを自分から友達に話すのは少し恥ずかしい。
「…ええ、なんで分かったの?」
「分かるよ。前と今の桂花、全然違うもん。なんかこう、肌ツヤがいい!」
桂花は少し冗談めかしてニヤリと笑った。
肌ツヤがいいとか言って少しふざけて見せたけど、たぶん目線とか口調とかそういうの全て、私のことをよく知っているからなんだろうな。
楓は本当に人のことをよく見ている。
楓にはかなわないな。
「あ、大丈夫。千穂には言わないよ。あの子は大騒ぎするだろうからね。」
ははっと笑って、人差し指を口の前に当てた。
その表情とポーズが、とても可愛らしかった。
人の中心にいるような人は、やはり周りもよく見ているんだ。
思いやりがあって、優しくて、気が使える女の子。
こんな子のことは誰も嫌いになったりしないだろう。
もちろん私も大好きだ。
多分楓は、様子のおかしい私を元気づけようとしてくれたんだ。
その優しさに目が潤んだ。
「ありがと。」と楓を見たら、ふふっと笑って「なんのこと。」と言った。
楓になら、千里先輩のことを話してもいいかもしれないな。
楓は大人っぽい見た目をしているし、人に懐に入り込むのが上手いから、年上の人と付き合う機会が多くあった。
もしかしたら、アドバイスとかくれるかもしれないな。
ふっと顔を上げると、きょろきょろと見渡しながら歩いていた千里先輩がいた。
彼は私の姿を見つけるとくしゃっと笑って走って駆け寄ってきた。
さっきまでの冷たさはひとつも無かった。
「桂花ちゃん。さっき、大会議室にこれ、また忘れてたよ。」
「あ…すみません。ありがとうございます。」
彼の手には、あのシャープペンがあった。
また置き忘れていたみたいで、届けてもらってしまった。
慌てて受け取ると、彼は、にっと笑った。
さっきの事で勝手に気まずくなっている私は、彼と上手く目が合わせられず、下を向いていた。
「…」
「…」
話すことがない。
気まずい。
そして、ハッとしてさっき楓から教えてもらった後夜祭の話を思い出した。
「先輩、知ってますか?文化祭の後夜…さい、って…」
ぱっと顔を上げたら彼と目が合わなくて、その上、彼は驚いたように目を見開いていた。
「え、千里先輩?どうしました?」
彼の視線は私の頭の少し上くらいに溶け込んでしまいそうなほど見つめたいた。
私の少し後ろに立っていた人を、見ていた。
そして、
「………━━━━楓?」
と言った。
その声を聞いて顔を上げると、
「っ……千里先輩……。」
彼女も彼の姿を真っ直ぐに捉え、そう呟いた。
