カラオケだけが楽しみだった私が、仕事にも恋にも本気になるまで

 全国から地区優勝ペアが集まる、グランプリ大会当日。
 会場は大ホール。天井まで伸びた照明タワーと、三層構造の観客席。
 いつもの練習室とも、地区大会の会場ともまるで違う、圧倒的なスケール。

 美織は舞台袖で、マイクを握る手にじんわりと汗をにじませていた。
 去年も立ったこの舞台。――けれど、やはり胸がざわつく。

 遠くから聞こえる拍手、司会者の声、他の出場者の歌声。
 知っていたはずの“本物のステージの音”が、今年はさらに遠く深く響いてくる。

 ――やっぱりすごい。去年とはまた違う緊張感。

 地区大会では見なかったような、繊細な表現や圧倒的な声量。
 会場を一瞬で引き込むような表現力のある歌声に、美織は息を呑んだ。

「……大丈夫ですか?」

 響生が、小声で訊いてくる。
 その声に、わずかに硬さが混じっていた。

「……少し、緊張してきました。でも……大丈夫。昨日、ちゃんと決めましたから」

 そう答えながら、美織はふと響生の横顔を見る。
 静かに見えるけれど、手元のマイクが少しだけ揺れていた。

「青海さんこそ、平気そうに見えますけど……」

「いや、内心はけっこうドキドキしてます」
 苦笑まじりに、響生がこたえる。

「でも、“伝える”ってこと、忘れなければきっと大丈夫ですよね」

 ふたりは、そっと目を合わせてうなずいた。
 心を落ち着けるように、深く息を吸い、そして吐く。
 ――今、同じ気持ちで、この舞台に立とうとしている。

 名前が呼ばれ、ステージへと向かう。
 ライトがまぶしくて、観客の顔は見えない。
 でも、その向こうに、確かに人がいる。

 イントロが流れる。

 ――もう、迷いはなかった。

 美織の歌声は、優しく、それでいて芯があった。
 響生の声がそれを受け止めるように響き、ハーモニーが会場を包む。

 ふたりは視線を交わし、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
 重なる声と、重なる気持ち。

 大ホールの空間を、確かにふたりの音が満たしていく。

 歌い終わった瞬間、客席から静かに、しかし確かに熱い拍手が起こった。
 それは、歓声でも賛辞でもない、“届いた”という証だった。

 すべてのペアの歌が終わり、舞台上には出演者が整列する。
 だが、すぐに結果発表とはならなかった。

 代わりに、ステージには特別ゲスト――
 著名なシンガーが登場し、一曲を披露する。

 プロの歌声が会場を震わせ、美織の胸にも感動が広がる。

 ……でも、それが終わっても、結果はまだ発表されなかった。

 時計の針が、少しずつ進んでいく。

 ――どうして、こんなに時間がかかってるの?

 さすがにざわめきが広がり始めたそのとき、司会者がマイクを握る。

「審査員講評をお伝えします」

 ステージに現れた審査委員長の年配の男性が、ゆっくりと口を開いた。

「どのペアも、非常に高い完成度と表現力を見せてくださいました。
 技術だけでなく、それぞれの“想い”が歌に込められていたことが、我々にも伝わってきました。
 審査には、例年にないほど時間がかかりました。
 その上で――厳正な協議を経て、優勝ペアが決定しました」

 会場が、静まり返る。

 そして、発表された。

「グランプリ大会、デュエット部門――準グランプリは二組あります。……
そして、グランプリは、……高村美織さん、青海響生さん!」

 一瞬、耳を疑った。
 けれど、響生がすぐに肩に手を添え、静かに言った。

「……優勝、しましたよ」

 その言葉を聞いた瞬間、美織の胸の奥から何かがあふれ出た。

 反射的に、ふたりは抱き合っていた。

 歓声、拍手、スポットライトのなかで、ただふたりのぬくもりだけが確かだった。

 ――この人と、ここまで来られた。
 今は、ただそのことがうれしくてたまらなかった。

   ◇◇

「というわけで――あらためて、グランプリおめでとう!」

「パチパチパチパチ!」

 週末のサークル定例会。
 地区大会から見守ってきたメンバーたちが、拍手と乾杯でふたりを迎える。

「そういえば、賞金って、出るんだっけ?」

「うん。ペアで、合わせて……百万円」
 美織が照れくさそうに笑う。

「すごっ!」
「全国レベルはスケールが違う!」

「でも、せっかくなら――」
 美織が、サークルの輪を見渡しながら言った。

「少しだけ使わせてもらって、サークルのみんなでお祝いパーティ、どうかなって。
 青海さんとも話してて」

「えっ、いいの?」「ほんとに?」

「もちろん!」
「みんなで出場した気分だったから」
 響生も、静かに頷いた。

「じゃあ、優勝記念の“歌って踊って感謝祭”でもやりますか!」

 大きな笑いが起こり、また拍手が広がった。