ジョディの一年分の給料を支払っても手に入らないような高い調度品がこの部屋にはたくさんある。莫大な地と富と地位を持つ伯爵、気品に満ちた夫人、美しい娘、この部屋には全て揃っているように見える。
(一人足りない……)
ジョディは拳を握り締める。そして、辺りをわざとらしく見回しながらアーサーたちに問いかける。
「伯爵、夫人、この家にはもう一人娘さんがいらっしゃいますよね。レジーナ様より二歳年上のフローレンス様が」
その名前を出した瞬間、大広間の空気が凍り付いた。アーサーが拳を震わせながら、「あんな出来損ないに「様」などつける必要はない!!」と怒りを滲ませる。ジョディの眉がぴくりと動いた。
「そうよ!あんな小汚い娘が怪盗に狙われるわけがないわ!」
「あんなのが姉なんて信じられないわ〜。ねぇお母様、あの女って橋の下で拾ってきたんでしょ?」
口々にアーサーたちは長女であるフローレンスを罵る。フローレンスは魔法が使えることが当たり前であるジュニパー国で魔法が使えない存在である。何故ジュニパー国の人間である彼女が魔法を使えないのか、研究はされているらしいが原因は未だにわかっていない。
フローレンスは伯爵家の娘だが、屋敷の外に出ることは禁じられている。十八歳になってもデビュタントを迎えることもなく、彼女の容姿すらこの屋敷にいる人間以外は知らない。
ジョディは大きく咳払いをした後、「フローレンス様をここに呼んでください」とアーサーに言う。アーサーたちは口々に抗議の声を上げたものの、ジョディはそれを遮るよう大声を上げた。
「この予告状には、どちらのお嬢様を攫うのか書かれていません!!なのでフローレンス様にも警護をつける必要があります!!従っていただけないのでしたら、私たちは捜査を放棄させていただきます!!」
「……あれをここに連れて来い」
レジーナの警護がなくなるのはまずいと判断したのだろう。アーサーは舌打ちをしつつ、近くにいた使用人に命じた。無表情な使用人は軽く頭を下げ、大広間から出て行く。ジョディがフローレンスを目にしたのは、それから数分後のことだった。
フローレンスは、ミルクティーブラウンの長い髪に紫の瞳の少女だった。レジーナとも似ている。しかしその髪は伸び放題で艶がなく、体もレジーナに比べるとかなり痩せている。おまけに着ている衣服は美しいドレスではなく、使い古されたであろう使用人の服だった。
フローレンスは虚ろな目でジョディを見つめている。ジョディは胸が締め付けられる感覚を覚えながら、背の低い彼女の目線に合わせて自己紹介をする。
「フローレンス様、初めまして。ジョディ・ハドソンと申します。怪盗シャハル対策のため、この屋敷の警護を担当させていただきます」
「……はい。よろしくお願いします」
か細い声でフローレンスは言う。すると、「挨拶が済んだならお前はもう屋根裏に戻れ!!」とアーサーがフローレンスを怒鳴り付ける。ジョディはアーサーの方を向き、口を開いた。
「フローレンス様も狙われている可能性が高いのです。同じ空間にいた方が安全です」
「そんな小汚い娘にこの空間にいてほしくないのよ!!」
エリザベスが見下したような目をフローレンスに向ける。フローレンスはゆっくりと俯いていった。ジョディは唇を噛み締め、アーサーとエリザベスを説得する。
そして何とか屋根裏部屋ではなく、大広間がある一階の一室にフローレンスがある許可を貰うことができたのだった。
「では、フローレンス様の警護をさせていただきます。お前たちはここを頼んだぞ」
「はい!」
部下たちに大広間を任せ、ジョディはフローレンスと共に与えられた部屋へと向かった。そこは屋敷で使わなくなったものが雑に詰め込まれた物置部屋だった。どの部屋よりも狭く、どこか埃っぽい。しかし、フローレンスが普段使っている屋根裏部屋よりは綺麗だ。
現在、この屋敷の周りは警察官がぐるりと取り囲んで周囲を見張っている。屋敷の中にはジョディを含めて十人以上の警察官がおり、屋敷は人の出入りが禁じられている。ネズミ一匹入らない状況だ。
「うまくいくように頑張りますね」
ジョディの言葉に、フローレンスはゆっくりと頷いた。
時計の針はゆっくりと進んでいく。時間が経つたびにジョディたち警察官やアーサーたちの顔に緊張が走った。
太陽はどんどん傾いていき、青一色だった空がオレンジに染まり始めていく。もう夕方ーーー怪盗シャハルの犯行予告時間だ。いつ怪盗シャハルが現れてもおかしくない。
ジョディは無表情のまま窓の方を見つめるフローレンスの方を見る。すると、バタバタと複数の足音が部屋に近付いていることに気付いた。フローレンスがジョディの手を引き、自身の背後に隠した。隠したと言っても、フローレンスよりジョディの方が背が高く、全く隠れていないのだが。
ドアが乱暴に開く。そこには複数の警察官とオルコット家の人々、そしてーーー黒のスーツに身を包んだジョディ・ハドソンの姿があった。
「私は夜中に何者かに拘束魔法をかけられ、先程まで動けませんでした!!フローレンス嬢、あなたの後ろにいるその女は私の偽物です!!」
「た、確かにあのハドソン刑事は魔法を一度も使ったところを見たことがない!!」
「間違いなく偽物だ。大人しくしろ!!」
本物のジョディ、そして警察官たちが声を上げながら、魔法で拘束するため杖を偽物のジョディとフローレンスに向ける。
「ッ!」
偽物のジョディは顔を真っ青にし、両手で胸元を強く掴む。するとフローレンスがゆっくりとため息を吐いた。そしてやれやれと言いたげに首を横に振る。
「ハドソン刑事、あなたの偽物をどうして用意したと思いますか?本当に拘束するべき相手を見間違えるようでは、あなたは刑事に不向きでは?それにオルコット伯爵方、少なくとも十九年同じ屋根の下で暮らしていたというのに、本物の娘と偽物の娘の違いもわからないんですね。……滑稽だ」
話しながらフローレンスの姿や声が変わっていく。それと同時に偽物のジョディも体に熱を覚えた。体が小さくなっていく不思議な感覚が体に走る。
偽物のジョディーーー否、本物のフローレンスがゆっくりとその目を開けた時、彼女の目に映ったのは驚愕したアーサーたちの姿だった。レジーナが叫ぶ。
「怪盗シャハル様!!レジーナを攫いに来たのね!!」
ボロボロの使用人の服ではなく、ピンクのドレスを着たフローレンスの前に立っていたのは、黒いシルクハットにタキシードの怪盗シャハルだった。
「なっ……!フ、フローレンス嬢が怪盗シャハル!?これは変化魔法か。貴様、ジュニパー国の人間か!」
ジョディの言葉に、怪盗シャハルは興味なさげに「さぁ、それはどうでしょう」と答える。そしてフローレンスを抱き上げた。突然横抱きにされたことに彼女の顔が一瞬にして赤くなる。
「あ、あの……お、降ろしてください……」
しかし怪盗シャハルはそれに応えることはなかった。勝ち誇った笑みを浮かべながらジョディたちを見る。
「では皆さん、私は最後の宝物をいただきます」
「待ちなさいよ!何でその女なの!?美しいのはこの私でしょ!?」
レジーナが前に出て胸元に手を当てる。その目には怒りがあった。怪盗シャハルはため息を吐きながら答える。
「最初からあなたに興味などこれっぽっちもありませんよ。私にとってあなたの価値は、道端に落ちている石と同等です」
レジーナは顔を真っ赤にしながら黙り込む。その体は小刻みに震えていた。アーサーとエリザベスが杖を取り出し、魔法を次々に放ちながら叫び声を上げる。
「おっと……危ないな。フローレンス、しっかり掴まっていて」
放たれる魔法を防御魔法で交わしていた怪盗シャハルだったが、キリがないと判断したのか抱き締める力を強くする。フローレンスは必死に彼の首の後ろに手を回した。
刹那、怪盗シャハルの足元から強い風が巻き起こる。風は部屋に置かれたものを吹き飛ばし、アーサーたちが魔法を放つのをやめる。
そして風が止んだ時、部屋からフローレンスと怪盗シャハルの姿は消えていた。
フローレンスは怪盗シャハルに抱き上げられたまま、すっかり夜になった空の上を飛んでいた。眼下には明かりの灯る家々が見える。
「綺麗……」
フローレンスは宝石のように煌めく街を見つめる。この世界がこれほど綺麗なことを生まれて初めて知った瞬間だったのだ。
「これから二人で色んな綺麗なものを見に行こう。この世界にはまだ綺麗なものがたくさんあるんだ」
怪盗シャハルが優しく言う。フローレンスはゆっくりと頷いた後、一番知りたかったことを訊ねた。
「私、怪盗シャハルさんとは初めてお会いしたはずです。なのにどうして私を連れ去ってくれたんですか?」
「フローレンスは知らないと思うけど、僕は小さい頃から君を知っているんだ。屋根裏にいた君をこっそり見たことがある。その時からずっと思っていたんだ。すごく綺麗な子だなって」
怪盗シャハルの言葉にフローレンスの顔に熱が集まる。人から褒められたことなど一度もなかったのだ。それと同時に眠気が襲ってくる。
「今日は刑事に変身して演技したり、色々と疲れたでしょ?眠っていていいよ。家に着いたら僕がキスで起こしてあげるから」
「フフッ……。何ですかそれ……」
フローレンスは笑った後、ゆっくりと目を閉じる。数秒後には寝息が怪盗シャハルの耳に届いた。
「おやすみ。僕の眠り姫」
怪盗シャハルはそっと微笑み、やっと手に入れることができた宝石にそっと口付けを落とした。