本当ならばこの頃は身だしなみもろくに出来ずに、キャンディスから教わるはずだけど、仕事の出来る山下さんならぬモニカが既に生活指導をしていて、髪も服もどこに出しても恥ずかしくないくらいに調えられていた。
きっと……すぐに私と、打ち解けてくれると思っていた。
小説の中では、キャンディスとウィリアムは話す内に親密度が高まっていく。
私が幾度となく話し掛けているうちに、つっけどんな物言いはなくなり、優しいウィリアムになるのだろう。
……けれど、安易な私の思惑は外れてしまい、ウィリアムが口にすることと言えば、悪役令嬢モニカのことだけ。
「おい。いい加減にしろ。あいつはどこに行ったんだ!」
なんなの。やだ。ウィリアムって、怖い。
最初は関係はあまり良くないところから始まるけれど、そんな風に親の仇を見るような目で見なくても良いでしょ……機嫌良く話し掛けただけなのに。
苦々しい表情で荒っぽく問いかけられて、私はしどろもどろになりながら答えた。
「えっ……やまっ……モニカ様は色々と忙しいから、ウィリアム様のお世話は私に任せると……」
「なんだと? おい。さっさと出て行け。モニカを連れて来い。話があると、俺が言って居ると伝えろ!」
「はっ……はいいいぃぃぃ」
私はウィリアム殿下からそう言われて、慌てて外へと飛び出した。
今の私はモニカ・ラザルスに言いつけられて、ウィリアム殿下を始終監視している女官……ということになっているらしく、欠伸をしている門番にも何も言われなかった。
ひーん……あんな怖い人と、恋愛したくないよー……どこに行ったの。
山下さーん!!
その時の私は、最近姿の見えないモニカを探して、数日間、城の中を彷徨うことになってしまった。
◇◆◇
ウィリアムの離宮で色々と打ち合わせをして、モニカと別れた私は、彼らと話したことを思い返していた。
「ええええ……嘘でしょう。私……もう、ヒロイン無理だった……」
呆然としてしまう。
だって、山下さんが中身のモニカは、ウィリアムのことを完全に手懐けていて……彼に好かれていた。
恋をしたら一途で盲目、平民出身の女官を唯一の妃として王妃にするウィリアムなのだから、モニカのことを好きになったとしたら、私になんて好意を抱くはずもない。
好きになった人を、既に決めてしまっているもの。
ええええええ。酷い。
しかも、モニカからは『余計なことは言わないように。しないように』って、何度も言い含められるし……余計なことなんて、言わないよ。
そもそも、職場を転々としすぎて、親しい人だって出来てないんだもん。
……はああ。
せっかく異世界転生出来たのに、なんだか、悲しくなってきた。
山下さんが悪役令嬢モニカにならなかったら、私は今頃、ウィリアムと打ち解けて、彼に恋をされているはずなのに……。
ウィリアムに会う前なら簡単に諦められたかもしれないけれど、彼の容姿はとても良い。本当に素敵な王子様だった。
本当だったら、私がヒロインだったのに……山下さんが一緒に転生しなかったら、こんなことにはならなかったのに……。
今更、そんな事を考えても仕方が無いとはわかりつつ、やっぱりこの流れには納得はいかなかった。
ううん。仕方ない。
ウィリアムはもう、婚約者モニカのこと好きなんだもん……そういえば、キャンディスって夜中に離宮に通うんだっけ……確か、前の私の清掃担当の持ち場にある抜け道。
あそこには、確か、抜け道の入り口があるはずよね。
……折しも、今は夜でほとんどの使用人は自室へと帰っている。
小説の中では女官として城で働き始めたキャンディスは、ドジっ子で方向音痴だった。
持ち場で偶然ネズミを見掛けて、それを追って入り込んだウィリアムの宮で彼と出会って、その後も何度も通い続けて虐げられた氷を纏う彼の心を溶かすのよ。
せっかく転生したんだから……別に少しくらい、ヒロインっぽい事をしても良いよね……?
物語のシーンを再現出来るなんて、聖地巡礼に近しくない?
良いアイディアを思いついた私は、周囲を気にしつつ以前の持ち場へと行き、ごそごそと探し回っていた。そして、植え込みに抜け道の入り口を見付けた。
上手く隠されていて、見付けるのに時間が掛かってしまった。
「あっ……あったー!! これなのね。凄い!!」
「おい! そこのお前……一体、何をしている!!」
「わ、私、何も!!」
「嘘をつけ。こんな夜中に、こんな場所で何もしてないは通じないぞ!!」
探していた抜け道を見付けたと喜んだのもつかの間、私は衛兵に見つかって、そして、捕らえられてしまうことになった。
やっ、山下さーん!! あ。違った。今はモニカだった。
もう、なんでも良いから、助けてーーー!!!
「っウィリアム様!」
「わっ……! なんだ。なんなんだ。一体」
私が彼が普段の時を過ごす離宮の居間に飛び込めば、ソファで本を広げたまま顔にかけ眠っていたウィリアムは、本を床に落として上半身を起こしていた。
「大変です! キャンディスさんが、ウィリアム様の離宮侵入の容疑で、衛兵たちに拘束されてしまったんです!!」
とんでもない話を聞いてから、言葉の意味を咀嚼出来なかったのか、ウィリアムは表情の抜け落ちた顔でしばし固まった。
「……はああぁぁぁぁああ?」
眉を顰めなんとも言えない表情で、ウィリアムは唸った。
ウィリアムがそうしてしまう気持ちは、わかる。本当に常人には何が何だかさっぱり理解不能な事態が起きてしまった。
……キャンディスの姿を目の当たりにした私だって、本当に何が起きたのか、まるで、意味がわからないのだ。
私がいつものように登城しウィリアムの住む離宮へ行こうとしたところ、一人の衛兵が駆け寄り『モニカ・ラザルス様ですね? 大罪を犯した女官が貴女に会いたいと言っているのですが、どういたしますか?』と聞いてきた。
私は彼の言う、その大罪を犯した女官が誰であるか、すぐさまわかってしまった。竹本さん。いいえ……どう考えても、キャンディスよね。
大罪を犯したって、一体、どういうことなのかしら……?
そして、私がは衛兵にキャンディスの元へ案内してもらいながら、道中で事情を聞くことが出来た。
なんと、キャンディスは昨夜、小説の中に出て来る、ウィリアムの住む離宮へ入るための抜け道を探し当て、そこに入ろうとしていた時に衛兵に見つかったのだと言う。
あれは単なる抜け道ではなくて、王族が緊急の際に逃げることの出来る非常出口のようなもの。ぱっと見は絶対に気がつけないくらいに巧妙に隠されてはいるものの、知る人ぞ知る秘密の抜け道なのだ。
そんな場所から王族の住む離宮に入り込もうとするあやしい女官を、衛兵が放っておくはずもなかった。
ああ。竹本さん……!
前世でも勝手に思いついて、営業先に突撃して、大失敗したことがあったわよね……けど、今回は取引先ではなくて、命が無くなることになるのよ!
私は衛兵から話を聞きながら、痛みを増していく頭痛に額を押さえながら、罪が確定するまでの犯罪者の居場所、留置場まで連れて行ってもらった。
「あ! モニカ様……! わーん。眠れなかったんです。私、どうしたら良いですか。王族の宮に侵入した者は、皆死罪だと言うんです! このままだと殺されてしまいます……! どうにかして助けてくださいぃ……!!!」
キャンディスは泣きながら、私に頼み込んできた。
ヒロインらしく可愛らしい顔の目の下には黒い隈が出来ていて、これまで眠れなかったというあの言葉に嘘はないようだった。
「……あの、キャンディスさん。どうして、こんな事をしたの……?」
私は頭に浮かんでいた疑問を、彼女に素直ぶつけた。
だって、キャンディスは抜け道から侵入なんてせずとも、ウィリアムの離宮から帰ったところだったはずだ。
しかも、私と一緒ならば彼女に慣れようとしないウィリアムに会っても、特に支障はない……だというのに夜中に忍び込むなんて、本当にそれをした理由が良くわからないのだ。
「『君と見る夕焼け』のヒロインっぽいことが、したかっただけなんですぅ……こんなにも大事になるなんて思わなくて……モニカ様!! 死にたくないですぅ!! 助けてください!!」
大声で泣き出したキャンディスを宥め、とにかくウィリアムと相談すると言って、あわてて彼の居る部屋にまで駆け込んだのだ。
----私から詳しい事情を聞き終わったウィリアムは、大きな大きなため息をついた。
「あれは……ああ。君の友人だったか。これからは彼女との付き合い方を、よくよく考えた方が良さそうに思うのだが」
ウィリアムは誰かの友人関係について、安易に口を出すべきではないと考えたのか、かなり言い方を考えてくれたようだ。
私もこれにはもう、苦笑いするほかない。
竹本さんは突拍子もないことを良く考えつく人だったけれど、現代日本とは常識が何もかも違う異世界で王族の宮に侵入しようとした賊がどうなるかは、あまり考えていなかったようだ。
平民や貴族、王族と段階的に身分差があるということ。その身分差によって生じる問題なども、頭ではわかっていても、ここがあの日本ではないと、ちゃんと理解が出来ていないのかもしれない。
「はい……けれど、今は命の危険が迫っています。彼女をこのまま放っておくというのも出来ません。私はどうにかして、キャンディスさんを救うために動こうと思います」
エレインの暗殺を防止するのも大事だけれど、今ここにある危機というのなら、キャンディスの命を救うしかない。
けれど、彼女の犯したとされているあの罪は、シュレジエン王国では、かなりの重罪とされているものなのだ。
……最悪の場合。どうにか脱獄させて、牢から逃がすことも考えなければならない。
「そもそも、どうしてあの女……いや、キャンディスは、俺の宮に夜に忍び込もうとしたんだ。昼ならば既にモニカが言ってくれていて、出入りは許可されているだろう」