仕事の出来る悪役令嬢、薄幸王子様を幸せにアップグレードしておきました。

 壇上に国王陛下の隣に居る王妃陛下は、私たち二人を苦々しい顔で見つめているけれど、彼女もダスレイン大臣に上手く言いくるめられている。

 血のつながりはないかもしれないけれど、ウィリアムは愛される資格を持つ男の子であることは、彼女もいずれは認めてくれることになる。

 それには、諸悪の根源……ダスレイン大臣を打ち倒すことが条件となる。

 今の私が、何を言っても駄目だ。彼は善意の人格者として、王族や貴族に認知されている。

 もう何ひとつ言い訳の出来ぬほどの悪事の証拠を、私はこれから集める必要がある。

 私たちが挨拶に来る貴族たちと和やかに談笑していた時、にこやかな笑顔を浮かべ、ダスレイン大臣は現れた。

「……親愛なるウィリアム殿下。それに、婚約者のモニカ様。お二人にご挨拶が出来て、光栄です」

 ……来たわね。

 アガタ・ダスレイン公爵、そして、現王に重用される大臣……善人そうな顔をしつつ、裏では王位簒奪をもくろむ大罪人。

「あら……ダスレイン大臣。こんばんは。良い夜ですね。ウィリアム。彼は公爵位にあられる、ダスレイン大臣ですわ」

「……ああ」

 嘘のつけないウィリアムはダスレイン大臣へ不機嫌そうに言えば、隣に居た夫人に話し掛けられて、そちらの話へと耳を傾けていた。

 これは、私がそうするように指示をしていたのだ。ダスレイン大臣とウィリアムが、直接話すことは良くない。

 ……彼が近付けば、私が対処するからと。

「これはこれは……お二人とも、仲睦まじくあられて……我々臣下にとっても、これからとても安心出来ますね」

「まあ……ありがとうございます。嬉しいですわ」

 私はにっこり微笑んで、そう言った。

 ウィリアムは離宮から出てこられないけれど、私はその離宮に出入り自由。以前に彼を罵倒していたことを知る者は、それほど多くない。

「最近は、モニカ様は王太子を気に入っているようだ……何か、あったのかね?」

「あら! ウィリアム様と私が仲が悪かった時など、これまでにありませんけれど……何か勘違いしていらっしゃいませんか?」

 にこにこと微笑む私に、そのまま笑みを返すように、ダスレイン大臣は微笑んだ。

「……君を彼の婚約者に推薦したのは、実は私なんだ。モニカ様」

 ……これは驚いてしまった。そうなのね。

 それは、小説には書かれていなかった。

 意地悪な性格でわかりやすく権力欲が強く操りやすい悪役令嬢モニカを彼の婚約者にしたのは、このダスレイン大臣なのね。

 どこまで彼が計算していたかはわからないけれど……他にも、色々と仕組んでいそうだわ。

「そうなのですね。心からお礼を申しあげますわ。ウィリアム様は、本当に素晴らしい王太子様ですもの」

 ……残念だけれど、悪役令嬢モニカは、もう貴方の思う通りになんて、動かないわよ。
「はーっ……心底疲れたな。モニカ。遅くまで付き合わせて悪い。着替えの手伝い、ありがとう」

「いいえ。ウィリアム様」

 先程までウィリアムの着用していた立太子用の儀礼服は、本人がひとりで脱ぎ着出来るような、簡単な服ではなかった。私が脱ぐのを手伝って、湯浴みをして来たのだ。

「お前……何をしているんだ?」

 夜の窓辺でお父様の部屋から借用して来た大きなオペラグラスを手にしていた私が振り返り、ウィリアムは、そんな姿を見て不思議そうに言った。

「ふふふ。現状把握は、仕事の一番重要な要なのです。何がどうなっているのか。誰かからの報告のみではいけません。自分の目で見て、現地確認することが大事なのですよ」

 そう言い切った私は、もう一度、オペラグラスを城にある執務棟へと向けた。

 ほとんど灯りが消えた中で、煌々とした光が見える最上階の東の端。そこには、ダスレイン大臣の執務室がある。

 現代ではオペラグラスを使用することもなかったし、モニカには芸術鑑賞の趣味もなかった。けれど、こんなにも、遠方の景色がくっきりと綺麗に見えるものなのね。

 もしかしたら……異世界の、特殊な技術なのかしら。

 綺麗に割れた窓から何かが落ちたので、ダスレイン大臣は、まだ暴れ回っているようだ。

 用心も悪くカーテンも閉めていないので、中の灯りに揺れる大きな黒い影は、地団駄を踏んでいるように見える。

「あらあら……まあ。大変だわ。誰かが窓の下を通って居なかったら良いけれど……」

 今は夜会も落ち着く深夜だから、暗くてひと気のない場所を誰も通らないとは思うけれど、高所から落ちれば軽い物でも威力も増すというのに。

 いいえ。鍛えてもいない中年男性が投げられるような物だから、大丈夫かしらね。

 ……今回の件で、ウィリアムの心に他の王族へ大きな不信感を芽生えさせて、上手く言いくるめて操るつもりだったのよね。

 思い通りにいかなくて、本当に残念でした。

「なあ。お前。何、見ているんだ?」

 ウィリアムは私が窓辺で私が何かを見ていることを不思議に思っているようだけど、本当に久しぶりに多数の人と会ったこともあり、ぐったりとしてソファに腰掛けて動かなかった。

 面白いものを見ているのだけれど、これは別にウィリアムには見せなくても良いものなので、私は無言で肩を竦めてオペラグラスを鞄に仕舞うことにした。

 風呂上がりで濡れた黒髪から水がぽたぽたとしたたり、やけに色っぽい風情だった。

「おい……俺の質問に答えずに、帰ってしまうつもりなのか……?」

 いかにも気に入らないと言わんばかりのウィリアムへ、私は微笑んで首を横に振った。

「ですから、現状把握なのです。誰かから報告を受けても、それが事実であるかどうかは、私にはわかりませんからね」

 口伝えでは嘘をつく意図がなくとも、誤解を招く可能性もある。私はダスレイン大臣の動向については、誰にも任せることなく、自分の目で見て確認するつもりだった。

「いや……なんというか……もう良い……その、現状把握とやらが終わったのなら、俺に熱いお茶でも淹れてくれないか」

「あら! 失礼しました。少しお待ちくださいね」

 ウィリアムの住む離宮に居る使用人は、夜になれば誰も居なくなる。

 だからこそ、小説の中のヒロインキャンディスは誰にも見られることなく、彼と交流出来た訳だけれど……立太子の儀式の日は帰りは深夜になるというのに、誰も待っていないのね。

 ……不便だわ。

 不当な扱いを受けているウィリアムの姿を見て、私はやはり、どうしても不満に思えてしまう。

 彼は王位を受け継ぐ王太子なのよ。国中で一番に贅を凝らした生活をしていても、全くおかしくないのに……ダスレイン大臣の陰謀さえなかったなら、彼の人生は大きく変わっているだろう。

「はい。どうぞ」

「ああ。ありがとう」

 ウィリアムは疲労困憊なのか、黙ったままで熱いお茶を飲み、我慢しがたい眠気を感じたのか、そのままよろよろとした足取りで自室へと向かって行った。

 小説の中ではウィリアムの心を打ちのめしてしまう立太子の儀式については、これで無事に切り抜けることが出来た。

 これからは……いよいよ、エレインの暗殺を防ぐために、本格的に色々と取り組まなくては……。


◇◆◇


 城で女官をしているキャンディスを訪ねて、私は彼女の持ち場へと向かったのだけど、あまりにも失敗が多すぎるということで、城中で持ち場を転々としていた。

 このシュレジエン王国には労働法が存在せず、労働者の権利が守られているという訳でもないのに、未だに辞めさせられていないところが、どこかにくめない竹本さんらしいと言えば竹本さんらしいかもしれない。

 ようやく私が倉庫の整理担当になっている女官キャンディスを見付けられたのは、彼女の仕事終わり直前の夕方のことだった。

 未来の王太子妃である私からの呼び出しがあったからと、このまま直帰しても良いと言われたらしい。

「もー!! やっと来てくれた!! 私のこと、忘れていませんでしたかー!? 山下さん、酷いです!」

 久しぶりに竹本さんもといヒロインキャンディスに会うと、涙いっぱいの目で見つめられてぷりぷりと怒られて私は苦笑いした。

 私たちはウィリアムの住む離宮へ向かうために、渡り廊下を二人で歩いていた。

「キャンディスさんのことを、忘れてなんていないわよ。けれど、ウィリアムが立太子の儀式に出席する件で私も忙しかったの……覚えているでしょう? 1巻の物語のはじめに出て来る、あの悲劇的なシーンよ」

「えっと……? 山下さんって、すっごく記憶力良いですね。『君と見る夕焼け』は刊行数二桁越えの大長編なのに。私はお気に入りのシーンしか覚えてません!」

 キリッとした表情でそうキャンディスに宣言されたので、私は『一番好きな小説って言っていたわよね……?』と、複雑な思いを抱きながら、曖昧に微笑んだ。

 私はキャンディス。

 キャンディス・ウィリアムズ。ヒロインらしく可愛い名前を持っているんだけど、元々の名前は竹本(たけもと)紗英(さえ)。

 この小説に転生して来て、一番に喜んだのは、私が誰よりも幸せになるヒロインだったから。

 『君と見る夕焼け』のヒーローウィリアムは、少々暗い性格を除けば、本当に素敵で外見も完璧な王子様だし、彼と波瀾万丈を乗り越えて愛し合うのも悪くないなーなんて、そんなことを思って居た。

 けれど、私が女官として城で働きはじめ、ひと月ほど経った時だっただろうか。

 意地悪悪役令嬢モニカ・ラザルスが転倒した私に駆け寄って、心配してくれたのだ。

 ウィリアムの婚約者であるモニカは、外見は清楚に見えて綺麗系だけれど、性格が非常に悪い。

 平民出の女官として働く私を心配してくれるなんて、とても小説の中に居る彼女に思えなかった。

 ……それに、私が会社に入った時にOJTを務めてくれた優しい先輩山下さんの口調に、既視感を覚えてしまうほど良く似ていたのだ。