仕事の出来る悪役令嬢、薄幸王子様を幸せにアップグレードしておきました。

 頭の良い彼にはカンニングペーパーなんて必要なく、私が事前に練習させていた通りの出来映えで、なんだか誇らしかった。

 ここで国王陛下は忌々しい表情を浮かべ、息子のことを見つめているはずだったけれど、今は真面目な表情を浮かべながらも、どこか嬉しそうよ。

 彼だってダスレイン大臣の思惑で誤解をしてしまい、側妃の息子ウィリアムを嫌っているだけで、すべての誤解が解ければ、息子である彼を愛するのだ。

 立太子の儀式を完璧にこなしたウィリアムの姿を見た臣下たちは、手を叩いて祝福を贈りながらにわかに色めきだったようだった。

 これまでは、確固たる後ろ盾もなく父王からも嫌われて離宮に幽閉された王太子ウィリアムなど、すぐに暗殺されてしまうか、その身分を取り上げられてしまうだろうと思っていたことだろう。

 次に王位につくのは、弟王子ジョセフだとそう思っていたはずだ。

 しかし、美麗な容姿にしっかりとした受け答え、堂々とした王者たる者特有の威厳ある立ち振る舞い。

 これまでは身だしなみもろくにしてもらえなかったウィリアムは、時折離宮から出ていても、その姿は馬鹿にされてしまう対象だったはずよ。

 立太子の儀式も、どうせ形ばかりのものになると、この広間に集まっていた大多数は思って居たはず。

 ……ウィリアム。

 皆が抱えている誤解は、貴方自身を知れば、すぐに解けてしまうはずよ。

 貴方は本当に心優しくて、自分を虐めていたモニカにも慈悲深く優秀で誠実で……誰かから何かを非難されるような人では、絶対にないもの。


◇◆◇


 私たちは立太子の儀式、その後にある夜会へと出席することとなった。

 ここでは、主賓であるウィリアムは言い訳をさせてもらえずに、傷ついているというのに無理に参加させられることになり、悪役令嬢モニカはそんな彼に追い打ちをかけるように嫌がらせをするのだ。

 エレインもその場には居たものの、状況的に母と弟の手前見て見ぬ振りをするしか出来なかった。

 ええ。ウィリアムには私が付いて居るからには、そんな事には、決してならないけれど。

 身分が最も高い王太子ウィリアムと婚約者モニカはまず一番目に踊り、その後に、次々と王族や貴族たちは踊りに加わった。

 壇上に国王陛下の隣に居る王妃陛下は、私たち二人を苦々しい顔で見つめているけれど、彼女もダスレイン大臣に上手く言いくるめられている。

 血のつながりはないかもしれないけれど、ウィリアムは愛される資格を持つ男の子であることは、彼女もいずれは認めてくれることになる。

 それには、諸悪の根源……ダスレイン大臣を打ち倒すことが条件となる。

 今の私が、何を言っても駄目だ。彼は善意の人格者として、王族や貴族に認知されている。

 もう何ひとつ言い訳の出来ぬほどの悪事の証拠を、私はこれから集める必要がある。

 私たちが挨拶に来る貴族たちと和やかに談笑していた時、にこやかな笑顔を浮かべ、ダスレイン大臣は現れた。

「……親愛なるウィリアム殿下。それに、婚約者のモニカ様。お二人にご挨拶が出来て、光栄です」

 ……来たわね。

 アガタ・ダスレイン公爵、そして、現王に重用される大臣……善人そうな顔をしつつ、裏では王位簒奪をもくろむ大罪人。

「あら……ダスレイン大臣。こんばんは。良い夜ですね。ウィリアム。彼は公爵位にあられる、ダスレイン大臣ですわ」

「……ああ」

 嘘のつけないウィリアムはダスレイン大臣へ不機嫌そうに言えば、隣に居た夫人に話し掛けられて、そちらの話へと耳を傾けていた。

 これは、私がそうするように指示をしていたのだ。ダスレイン大臣とウィリアムが、直接話すことは良くない。

 ……彼が近付けば、私が対処するからと。

「これはこれは……お二人とも、仲睦まじくあられて……我々臣下にとっても、これからとても安心出来ますね」

「まあ……ありがとうございます。嬉しいですわ」

 私はにっこり微笑んで、そう言った。

 ウィリアムは離宮から出てこられないけれど、私はその離宮に出入り自由。以前に彼を罵倒していたことを知る者は、それほど多くない。

「最近は、モニカ様は王太子を気に入っているようだ……何か、あったのかね?」

「あら! ウィリアム様と私が仲が悪かった時など、これまでにありませんけれど……何か勘違いしていらっしゃいませんか?」

 にこにこと微笑む私に、そのまま笑みを返すように、ダスレイン大臣は微笑んだ。

「……君を彼の婚約者に推薦したのは、実は私なんだ。モニカ様」

 ……これは驚いてしまった。そうなのね。

 それは、小説には書かれていなかった。

 意地悪な性格でわかりやすく権力欲が強く操りやすい悪役令嬢モニカを彼の婚約者にしたのは、このダスレイン大臣なのね。

 どこまで彼が計算していたかはわからないけれど……他にも、色々と仕組んでいそうだわ。

「そうなのですね。心からお礼を申しあげますわ。ウィリアム様は、本当に素晴らしい王太子様ですもの」

 ……残念だけれど、悪役令嬢モニカは、もう貴方の思う通りになんて、動かないわよ。
「はーっ……心底疲れたな。モニカ。遅くまで付き合わせて悪い。着替えの手伝い、ありがとう」

「いいえ。ウィリアム様」

 先程までウィリアムの着用していた立太子用の儀礼服は、本人がひとりで脱ぎ着出来るような、簡単な服ではなかった。私が脱ぐのを手伝って、湯浴みをして来たのだ。

「お前……何をしているんだ?」

 夜の窓辺でお父様の部屋から借用して来た大きなオペラグラスを手にしていた私が振り返り、ウィリアムは、そんな姿を見て不思議そうに言った。

「ふふふ。現状把握は、仕事の一番重要な要なのです。何がどうなっているのか。誰かからの報告のみではいけません。自分の目で見て、現地確認することが大事なのですよ」

 そう言い切った私は、もう一度、オペラグラスを城にある執務棟へと向けた。

 ほとんど灯りが消えた中で、煌々とした光が見える最上階の東の端。そこには、ダスレイン大臣の執務室がある。

 現代ではオペラグラスを使用することもなかったし、モニカには芸術鑑賞の趣味もなかった。けれど、こんなにも、遠方の景色がくっきりと綺麗に見えるものなのね。

 もしかしたら……異世界の、特殊な技術なのかしら。

 綺麗に割れた窓から何かが落ちたので、ダスレイン大臣は、まだ暴れ回っているようだ。

 用心も悪くカーテンも閉めていないので、中の灯りに揺れる大きな黒い影は、地団駄を踏んでいるように見える。

「あらあら……まあ。大変だわ。誰かが窓の下を通って居なかったら良いけれど……」

 今は夜会も落ち着く深夜だから、暗くてひと気のない場所を誰も通らないとは思うけれど、高所から落ちれば軽い物でも威力も増すというのに。

 いいえ。鍛えてもいない中年男性が投げられるような物だから、大丈夫かしらね。

 ……今回の件で、ウィリアムの心に他の王族へ大きな不信感を芽生えさせて、上手く言いくるめて操るつもりだったのよね。

 思い通りにいかなくて、本当に残念でした。

「なあ。お前。何、見ているんだ?」

 ウィリアムは私が窓辺で私が何かを見ていることを不思議に思っているようだけど、本当に久しぶりに多数の人と会ったこともあり、ぐったりとしてソファに腰掛けて動かなかった。

 面白いものを見ているのだけれど、これは別にウィリアムには見せなくても良いものなので、私は無言で肩を竦めてオペラグラスを鞄に仕舞うことにした。

 風呂上がりで濡れた黒髪から水がぽたぽたとしたたり、やけに色っぽい風情だった。

「おい……俺の質問に答えずに、帰ってしまうつもりなのか……?」

 いかにも気に入らないと言わんばかりのウィリアムへ、私は微笑んで首を横に振った。

「ですから、現状把握なのです。誰かから報告を受けても、それが事実であるかどうかは、私にはわかりませんからね」

 口伝えでは嘘をつく意図がなくとも、誤解を招く可能性もある。私はダスレイン大臣の動向については、誰にも任せることなく、自分の目で見て確認するつもりだった。

「いや……なんというか……もう良い……その、現状把握とやらが終わったのなら、俺に熱いお茶でも淹れてくれないか」

「あら! 失礼しました。少しお待ちくださいね」

 ウィリアムの住む離宮に居る使用人は、夜になれば誰も居なくなる。

 だからこそ、小説の中のヒロインキャンディスは誰にも見られることなく、彼と交流出来た訳だけれど……立太子の儀式の日は帰りは深夜になるというのに、誰も待っていないのね。

 ……不便だわ。

 不当な扱いを受けているウィリアムの姿を見て、私はやはり、どうしても不満に思えてしまう。

 彼は王位を受け継ぐ王太子なのよ。国中で一番に贅を凝らした生活をしていても、全くおかしくないのに……ダスレイン大臣の陰謀さえなかったなら、彼の人生は大きく変わっているだろう。

「はい。どうぞ」

「ああ。ありがとう」

 ウィリアムは疲労困憊なのか、黙ったままで熱いお茶を飲み、我慢しがたい眠気を感じたのか、そのままよろよろとした足取りで自室へと向かって行った。

 小説の中ではウィリアムの心を打ちのめしてしまう立太子の儀式については、これで無事に切り抜けることが出来た。

 これからは……いよいよ、エレインの暗殺を防ぐために、本格的に色々と取り組まなくては……。


◇◆◇


 城で女官をしているキャンディスを訪ねて、私は彼女の持ち場へと向かったのだけど、あまりにも失敗が多すぎるということで、城中で持ち場を転々としていた。

 このシュレジエン王国には労働法が存在せず、労働者の権利が守られているという訳でもないのに、未だに辞めさせられていないところが、どこかにくめない竹本さんらしいと言えば竹本さんらしいかもしれない。

 ようやく私が倉庫の整理担当になっている女官キャンディスを見付けられたのは、彼女の仕事終わり直前の夕方のことだった。

 未来の王太子妃である私からの呼び出しがあったからと、このまま直帰しても良いと言われたらしい。