仕事の出来る悪役令嬢、薄幸王子様を幸せにアップグレードしておきました。

 王都でも有名なメゾンキャローヒルのマダムは、彼女の職務上とても褒め上手で、入ったばかりの新人をその気にさせることなどお手の物らしい。

「まあ、そう言っていただけて、本当に嬉しいですわ。ですが、私にはまだまだ技術や経験が足りません。良き先輩方のおかげで、こうしてお仕事させていただいておりますもの。これからも技術向上に向けて頑張りますわ」

 ふふふと二人で笑い合って、私は手に持っていた書き付けをしまった。

 仕事を覚える上でメモは大事だ。一度聞いたことは完全に覚えられてしまう記憶力抜群の人はさておき、どんな仕事でも、何もかもすべて最初から上手く出来る人など存在しない。

 失敗はしても良い。けれど、再度起こらないよう自分なりのやり方に落とし込むために、仕事中の覚え書きは必須だった。

 私は記憶を取り戻してから、ウィリアムの悲劇回避に向けて、王都にある有名なメゾンでお針子見習いとして働いていた。

 それは何故かというと、離宮に居るウィリアムには、婚約者である私一人しか近づけない。そういうことになっている。

 つまり、儀礼服の二着目を作成するならば、私自身が採寸や|仮縫い(フィッティング)の技術を身につける必要があった。

 モニカは優雅に暮らす貴族令嬢なので、暇を持て余している。その時間を有効活用し平民と身分を偽り、メゾンでお針子として働くことに成功していた。

 ……そろそろ、マダムにもこういった事情を明かし、協力を仰ぐ必要があった。ここ二月ほど彼女の仕事ぶりを見ていたけれど、職人として秘密を守れ、信頼出来ると踏んだ。

 立太子の儀式のための儀礼服など、これで何にしようするかと問われれば、それにしか使用するしかないほどに豪華である必要があるのだから。

 しかし、これを必要であると明かすには、互いに信頼出来る関係性が出来てからでないと難しいと考えていたため、偶然選んだ勤め先のマダムである彼女が、信頼に足る人物で良かった。

 さて、ウィリアムの立太子の儀式へ向けて……これで、準備は十分なようね。
「……モニカ。お前は確か、生粋の貴族令嬢ではなかったのか」

「ええ。私の公式な身分は、ラザレス伯爵令嬢モニカ。仰るとおり、シュレジエン王国貴族でございます。ウィリアム様」

 そもそも伯爵位以上の貴族令嬢でなければ、王族に嫁ぐことは許されず、王太子に嫁ぐならば、何代も前から続く『品行方正』な血筋であることが求められる。

 王太子ウィリアムの婚約者モニカは、そういった厳しい基準を満たしている、選り抜きの伯爵令嬢ということになる。

 ここでウィリアムが何を言いたいかは、理解出来る。社交を仕事とする貴族令嬢は、お茶会や夜会に出て優雅に暮らすのが、いわばお仕事。

 今の私のように、お針子の真似事なんて、決してしないものなのである。

 私は|仮縫い(フィッティング)のために持ち込んだ様々な布を当てて、彼の身体に沿うように取り付けていく。何人かで協力するような作業ではあるけれど、一人でも出来るように訓練して来た。

 しかし、生けるマネキンとしての役目を果たすウィリアムには、長時間立ったままで居てもらうことになるけれど、これはもう仕方ない。

 この離宮に入ることの出来る、正当な理由を持つ婚約者である私は、一人しかない。出来るだけ短時間で、効率良く動くしかない。

 無数にある布地を当てて、手際良くまち針を刺していく私に、ウィリアムは小さく息をついた。

「おい。お前。凄すぎないか……このまま、優秀なお針子にもなれそうだ。本当に、仕事が出来るんだな」

「まあ! ありがとうございます。嬉しいですわ。頑張って会得して得た技術を褒められることほど、嬉しいことはありませんわ」

 さきほど、突然私に立ったままで居て欲しいと頼まれ、この前の反省を活かし私が持って来た|仮縫い(フィッティング)中に身につけていても、支障のない薄い下履きを身につけている彼は、呆然としたままでそう呟いた。

 思わぬ褒め言葉をもらって笑顔になった私は、ある程度まで縫製されている布を重ね、必要な部分には無数のまち針を刺して、それを幾度となく繰り返す。

 長時間かかる単調な作業にも関わらず、言われた通りに動いてくれるウィリアムは、文句の一言も言うこともなく私に付き合ってくれた。

 出来るだけ早く終わらせようと考えていた私は、仮縫いの終了間際とんでもないミスをしてしまった。ウィリアムの足に、針を刺してしまっていたのだ。

「……あ! 申し訳ありません。ウィリアム様」

 もし、ウィリアムが店にやって来たお客様であれば、お針子である私には絶対に許されないことだ。

 これはすぐに謝罪しなければと顔をパッと上げた私に、ウィリアムははあと息をついて首を横に振った。

「気にしなくて良い。それよりも、早くしなければと慌てなくても良い。俺はただ、ここに立って居るだけなのだからな」

 とは言っても採寸や仮縫いは、長い時間同じ体勢で居なければならないし、私だって常日頃からドレスを作ってもらうから、疲労を感じるであろうことは理解していた。

 もう……優しい。ウィリアム。

「おい。涙目になるな。大したことでもあるまい。俺の身分が気になるのかもしれないが、ここには君と俺しか居ない。俺が良いと言えばそれで良いんだ」

 私は彼の優しさに感動して涙ぐんでいたのだけど、失敗をして悲しんでいるという意味だと誤解したウィリアムは、私を励まそうとしてかそう言った。

「はいっ……ありがとうございます」

 無言でその後の作業を終え、長かった一人での|仮縫い(フィッティング)も、これでようやく終えることが出来る。

 事前準備として門番に悟られないように布地を小分けにして運んだりと、本当に大変だったけれど……あとは、これを逆に少しずつ運び出して、服を作るメゾンへと送り届けるだけだわ。

「……しかし、最近全然離宮に来なかっただろう。この儀礼服の件が終わったら、元に戻るのだろうな?」

 布を整理して片付けていた私に、着替え終わったウィリアムは確認するように言った。

 このところ、私はメゾンキャローヒルのマダムとの打ち合わせなどに忙しく、なかなか彼には会えて居なかった。

 キャンディスを頑なに拒否するウィリアムには実質話し相手は私しか居ないので、彼もこのところ寂しかったのかもしれない。

「はい。ウィリアム様。そのつもりですよ。私もこのお針子の仕事は楽しかったですが、まだまだ解決せねばならないことがたくさんありますので」

「……そうか。だったら良い」

 ウィリアムは素っ気なく言い、私はそんな彼の態度に違和感を抱いた。

 何か不満があって、私に言いたいことがある。けれど、言えない。言わない。そんな風に思えたからだ。

 ……もしかしたら、今回は私が動くしかないけれど、ただ離宮で待って居るだけという生活も、ストレスが溜まっているのかもしれない。

「これが終われば、本格的にエレイン様暗殺防止について対策することになるでしょう。その時はウィリアム様にも、活躍していただきますから……」

「お前。もしかして……俺はまだ自分の役目がないから、いじけているとでも思って居るのか?」

「……違うのですか?」

「そんな訳ないだろ……お前、ほんっとうに……もう良い。急いでいるんだろう。早く行けよ……」

 聞き返した私にウィリアムはイラッとした態度で立ち上がりかけ、思い直して静かに腰掛けた。

 もう自分に何も話し掛けるなと言わんばかりの態度を見て、私もそれに従うことにした。

 豪華な儀礼服の布は重さもあり、すべてを一度に隠し持って出て行くことなど出来ない。

 先に作業を進めてもらうためにマダムには事前に相談していて、いくつかにパーツ分けしたひとつをドレスのスカートの下に隠し、足早にウィリアムの離宮を出た。

 しんとした沈黙の中、シュレジエン王城の大広間へと、王太子ウィリアムは現れた。

 豪華な儀礼服を身に纏い、艶のある黒髪を撫で付けた彼を見て、縦に横にと空間が広がる大広間に集まる人々の感嘆のため息が漏れた。

 私はその時、ダスレイン大臣の顔をじっと観察していた。

 今この時に、美麗な容姿を持つ王太子ウィリアムではなく、群衆に埋もれているはずのダスレイン大臣に注目しているのは、私ただ一人だけだろう。

 癖のある茶色の髪と髭に縁取られた、いかにも人の良さそうなふっくらとした体型の中年の男性。人当たりも良く優しい語り口で、誰もがそんな彼には油断してしまうことだろう。

 心中では自らが王位簒奪するためには、王族すべてを皆殺しにして王国だってめちゃくちゃにしても良いとまで思って居る極悪人だなんて、なかなかに見抜けないのも無理はない。

 ……呆気に取られて、まさか、目の前の光景を信じられないという間抜けな表情。

 あらあら。思っていた展開とは違い驚いたからって、これは油断し過ぎではないかしら。

 だって、立太子の儀式は祝いの場だというのに、そんな表情を浮かべているなんて……本当に変な話よね。

 偶然に不自然さに目に留めた誰かに疑わしく思われても、まったく不思議ではないわ。

 彼の思惑では、立太子の儀式に着用する服をズタズタに引き裂かれたウィリアムは、普段着ている服で儀式に現れ、神聖な儀式を冒涜したとして非難されてしまう。

 ダスレイン大臣の策略でウィリアムには弟側の派閥、つまりは姉エレインの仕業だと思った。父王や他の王族にはウィリアムが王族の立場を馬鹿にして、どうしようもない王子で排斥するしかないと吹聴するはずだった。

 小説の中ではすっかり誤解をしてしまったウィリアムは無言でここを去り、既に出会っていたキャンディスに励まされるはずだったけれど、それはもう必要ないわね。

 本当に、残念でした。思い描いた通りにならなくて。

「王太子ウィリアム殿下。前へ」

「誓います……我、ウィリアム・ベッドフォードは……」

 名を呼ばれたウィリアムは堂々とした態度で、自分の治世で賢政を敷くことを朗々と良い声で誓った。