「言いたいことは、はっきりと言え。お前は本当に、必要なことは何も言わない。あのメイドについてもだ! あの女とくっつけようという魂胆だったというのは、見え見えで理解しているが、俺には全くその気はない。本人の許可も得ずにあのようなことを……! 今後は、一切ないようにしてくれ」
やっぱり、ウィリアムが怒っていると、黒猫がシャーッと威嚇しているように見える……どうしてかしら。あの纏まらないくせっ毛が、なめらかな猫の毛のように、あまりに手触りが良すぎてしまうせいかしら。
ウィリアムが纏う空気が、人慣れのしない、孤独な野良猫のようだからかもしれない。
「はい。ウィリアム様……もちろんですわ」
面白くなさそうな表情で腕を組むウィリアムに、私は微笑んで頷いた。
今年晴れて成人となる王太子ウィリアムは、母が亡くなってから、婚約者モニカ以外の人とは、ろくに話したことがない。
そんな悪役令嬢モニカからは、終わりなく蔑むような言葉を投げつけられていた。
そして、中身がすっかりと変わり一人だけ事務的ではない日常会話の出来る私一人だけを、特別視をしてしまうのも無理のないことだわ。
ウィリアムだってこれからいろんな人と話して世間を知れば、恋愛相手の選択を間違ったと思い直すこともあるだろうし……。
その時、不意にチクンと胸が痛んだ気がして、私は両手で慌てて押さえた。
何かしら……? 心疾患の初期症状かしら……?
病気は早期発見が大事だし、医者に早めに相談するべきよね。
私はウィリアムを残して死ぬ訳には、いかないのだから。
「もう一度聞くが、姉上に命の危険があるとは、一体何がどうなってそうなるのだ。王位継承権を持つ俺や弟のジョセフならば、暗殺の危険があると言われても、まだ理解も出来るだろうが、それを通り越して姉上が狙われてしまうなど……正直に言えば、俺にはあまり考えにくいのだが」
流石は薄幸であること以外は弱点がないと言っても過言ではない、優秀な王子様ウィリアム。
頭脳派王子様ヒーローらしく洞察力が高く誰からも教えられずとも、自分の立場王家の状況なども理解をしているらしい。
……そう。
ウィリアムの言う通り、エレイン様は現王の長子ではあるものの、女性なのでシュレジエン王国の古くからの伝統で王位継承権を持たれない。
だから、彼女の血を引いた子が継承権を持つこともない。王女は政略結婚をする道具としか、見られていない状況なのだ。
しかも、エレイン様は何か政治的な思惑なのか本人の希望なのかは、私にはわからないものの、結婚適齢期に既に突入しているというのに、これまでに婚約者が居たことがない。
それは、王族の血を引く王女だというのに、現在は、はっきりとした後ろ盾がないということを意味していた。
「実は……近い未来、エレイン様はダスレイン大臣にいくつかの罪を着せられて、暗殺されてしまうのです。それは、彼女を犯人に仕立てるためのもので、王位継承権は関係ありません」
その時に、ウィリアムは目を大きく見開き『信じられない』と言わんばかりの表情で口に手を当てた。
「なんという……! ダスレイン大臣……俺には良い顔を見せておいて……姉上を暗殺するだと……?」
ここでウィリアムが裏切られた驚きの表情を見せるのも、小説を何度も通しで読んだ熱心な読者の私には理解出来る。
ダスレイン大臣は王族の濃い血統を受け継ぐ公爵位にあり、たとえ順位は低くとも継承権を持っている。好々爺のような外見を持ち、物腰は柔和で優しそう。権力欲なども見せることはない。
政治的な派閥などにも近寄らず敵を作るようなタイプには到底見えないけれど、相当に腹黒く、裏では酷いことばかりをしていた。
そして、彼は生まれてから不遇の身にあった王太子ウィリアムには、同情をする好意的な態度を見せていた。
だからこそ、ウィリアムは物語序盤で、致命的なミスを犯してしまうこことなる。
幽閉されている自分には優しく、現王たちのやりようを批判したダスレイン大臣の甘い言葉を信じて、悪役令嬢モニカを取り巻きに置く姉エレインが自分を虐げている主犯だと思い込んでしまうのだ。
そして……エレインが暗殺されてしまった時も『これまで積み重ねた悪事が、自分の身に返って来ただけだろう』と、自らを守ろうとしてくれた亡き姉を嘲るような事を口にしてしまう。
そして……真実を知ったウィリアムが深く後悔するのは、まだまだ先の話だった。
いえいえ。そんな未来を知っている私がここに居るからには、そんな流れにはこの先は絶対にならないけれど。
「ええ。そうなのですわ。先んじてお伝えしていた通り、エレイン様は不遇にある弟ウィリアム様を、どうにかして助けだそうと尽力なさっています。それを知り彼女を煙たがったダスレイン大臣に殺されてしまうのですわ」
「それで、俺は何をすれば良いんだ。ここに幽閉されていたとて、何も出来ない訳ではない。姉上を暗殺から救うのならば、今から何かをして早過ぎるということはあるまい」
不機嫌そうに腕組みをしているウィリアムは、眉を寄せて言ったので、私もその通りだと大きく頷いた。
エレインの暗殺防止については、まだまだ先の出来事こととは言え、絶対に失敗出来ない事が事なだけに先んじていくつかの対策を講じておく必要がある。
私の方でも、それは考えていた。
「……はい。エレイン様の暗殺防止については、もちろん私も、最優先すべき事項であると捉えています。ですが……現在の私の直近目標としては、ウィリアム様の立太子の儀式を成功させることなのです」
「俺の立太子の儀式……ああ。そういえば、以前に、父上から手紙を貰っていたな……」
私の言葉を聞いて驚いて目を見開いたウィリアムは、父王からの手紙の内容を思い出すように腕組みをして宙に視線を向けた。
立太子の儀式までひと月しかないというのに、ウィリアムはまるで危機感を持っていない。彼にはこれから起こる悲劇をほとんど知らないのだから、それも無理はないのだけど……。
ウィリアムは現王陛下の長子で、生まれながらの王太子。
王太子は王位継承の確定を意味する成人年齢になると『立太子の儀式』という式典に参加し、多くの臣下たちの前で、国家安寧のために賢政を敷くという誓いを立てるのだ。
小説の中では、ウィリアムは式典用の儀礼服を引き裂かれていて、今ここに居るような服装で出て行くしかなかった。
そんな彼を見て、国王はじめ王族ならび臣下たちも、王太子ウィリアムが王家や王国そのものを軽んじていると思い込み人前で罵倒する。
言い訳することも出来ずに離宮に戻ることしか出来なかったウィリアムの孤独感は、より加速することになってしまう。
もちろん。それはダスレイン大臣の企みで、彼は完全に人間不信に陥ったウィリアムにすり寄るためだったのだ。
……ええ。そのようなことには、私がさせません。
「立太子の儀式については、私が既に動いておりますので、何も心配なさらずに……」
私は彼を安心させるように右手で胸を叩き、不思議そうに首を傾げていたウィリアムに大きく頷いた。
立太子の儀式を成功してしまえば、ダスレイン大臣はウィリアムにつけ込む隙を失ってしまう。彼に画策されていろいろと誤解のある王族同士にも、まだ、改善の余地が残されることとなる。
「……まあ。お前がそう言うのならば、間違いあるまい」
「お任せ下さいませ」
ウィリアムは元々自分のことを罵倒し続けた過去を持つモニカだとしても、自分の目で間違いないだろうと確認出来れば特にこだわることもなく許し、信じると任せてくれる。
……これこそが、国を治める王としての器。
ほんの少しの失敗を延々と長期間引っ張る良くない中間管理職に、爪の垢でも飲ませてやりたいところだわ。
「そして、あのメイドはどうするんだ。君のすることには間違いないとは思うが、放って置けば何か仕出かしそうだ」
流石はウィリアム……キャンディスさんはすぐに追い出して、あまり話も出来ていないはずなのに、彼女の人となりをわかってるわね。
本人には悪気がないだけ、より多くの警戒を必要とする人なのだ。
ええ。その通り。
竹本さんについては、放って置くと嫌な予感しかしないので、私もこの後に良く言い聞かせるつもりではあった。
「たけも……キャンディスさんにも、暗殺防止については参加して貰います……友人ですし私の事情を、知っている方なので」
厳密に言えば彼女は友人ではなく職場を同じくするただの同僚なのだけど、ここでウィリアムにそこまで説明する必要もないだろうと思った。
「……君の友人ということであれば、言いにくいが、その……大丈夫なのか」
「ウィリアム様。大丈夫ですわ。彼女のことは私も理解しております。ですが、とにかく、ウィリアムの立太子の儀式が迫っています。それが終わってから、キャンディスさんに詳しく説明することにしましょう」
「ああ……」
キャンディスについては放って置くと何を仕出かすかわからないという意見は二人とも一致しているものの、立太子の儀式を最優先に片付けよう私の言葉に、ウィリアムはため息をついて頷いた。
「……しかし、モニカ。君はまるで……そんな未来の光景を見て来たかのようにして、語るんだな」
私をまっすぐに見つめる、ウィリアムの黒い瞳。まるで、私の心の中にある何もかもを、見透かしているかのようだ。
そして、ウィリアムに私が転生している話をするとなると、何をどう伝えれば良いかわからなかった。
そもそも彼に伝えるつもりなんてなかったから、事前に練っていたウィリアム用伝達プランを、ここでは用意出来ていなかったとも言える。
行き当たりばったりにすべてをここで伝えてしまえば、この後で何か支障が出てしまうかもしれない。
小説内にある悲劇フラグを、先んじて折ってしまうことが私が最優先にすること……これは、絶対に失敗出来ないのだから。
「いずれ……何もかも、お話し出来ると思います」
「……お前を信じる」